災害を乗り越える思想~IT社会はどこへ向かうのか

第2回 災害への備えとはいったい何であるのか

概要

2011年3月11日に発生した大震災を受けて、私たちは、災害と隣り合わせの日本人の生活を改めて実感することになりました。 近代という時代のシステムを管理すると言うことが、社会と人間に対してどのような運命を提供していくのかを問います。

目次
過去と未来が一瞬にして消えてしまった
危機に「備える」とは
これからの危機管理の思想
ターニング・ポイントの向こう側へ

過去と未来が一瞬にして消えてしまった

旧友のS君は、「懐かしい海」のイメージを得意とした、ちょっと名の知れグラフィック・デザイナーです。彼は、いくつかの賞を獲得、デザイナーとしての地歩を築き、5年前に東京での生活に一区切りをつけて、生まれ故郷の宮城県の海に近いアトリエで、人も羨む静かな創作生活を手に入れました。わたしも招かれて何度か訪問しましたが、潮騒が眠れぬ夜を優しく癒してくれる別天地でした。

・・あれ(3.11)以来、音信不通だった彼から、数日前、漸く一通のメールが届きました。「今はまだ何も言いたくありません。わたしの過去と未来はすっかり消えてしまいました・・・」。S君に限らず、被災された人々の心労はいかばかりかと推察します。

瀟洒なアトリエは跡形もなく流出、彼は着の身着のままに高台に逃げて助かったそうです。もちろん、大地震の直前まで、定評のある海のデザインに没頭していた痕跡すら、相棒のアップルとともに行方しれずになりました。

思えば、今回の大津波で東北地方では何万台のパソコン端末が波に攫われたことでしょう。クラウドを利用していた企業などのデータ被害は、少ないでしょうが、スタンド・アローンのパソコンひとつで、世に真価を問うてきた「現代の侍たち」の業績と夢は一瞬にして消え失せてしまいました。

S君にしても、自分のパソコンが何らかの機器的な不調で壊れることは心の片隅で意識していたはずですが、わたしが知る限り、そのための「備え」は、週に一回の外付けHDへのバックアップでした。そのHDも見つかっていないということです。そんな無残な話を聞きながら、あらためて日頃から危機に「備える」ことの大切さについて考えています。

危機に「備える」とは

いうまでもなく、危機に「備える」というのは、パソコンのデータ保存などにとどまらず、人命に関わる非常に重要な課題です。しかし、わたしたちは、あれほど常日頃から、来るべき危機に「備える」ようと言い習わしてきたにもかかわらず、振り返れば、いかにも無力であり無防備でした。そして、「次に来る大災害」への「備え」に、一定の時間的な猶予が許されているわけではありません。

ところで、災害情報論では、平時は「次の災害の先行期である」(災害のライフサイクル)と位置づけ、物心両面の弛まざる「備え」の必要性を提唱してきました。しかし、大災害という「不確実な事象」(今後の自然科学の発達によって、発生の予測が可能になれば不確実性は軽減していきますが)のために、限りのある時間とコストをどこまで投入すべきか、という議論はあまりなされてきませんでした。いわば非常に定性的な感覚論でした。(これは、次回に述べる予定のBCPの本質にも関連します。)

ましてや、人間の一生と大災害の発生周期の長さについて考えますと、過去の宮城沖地震は、平均すれば約40年の周期で来襲していますが、今回のような広域の巨大地震と大津波は、記録に残るところ、貞観津波(869年)以来だと言われます。ひとりの人間の一生(長くて100年:そこから「1世紀」という発想が生まれた)を遙かに超えています。ですから、次の大震災が千年後だとしたら、そんな遠い未来に「備える」ために、現代の貴重な資源を費やすことに、絶対的な意義と必要性を主張することは、どこまで許されるのか。

これからの危機管理の思想

今回の大震災を契機として、これからの危機管理や防災教育のあり方は、大きく変えなければならないと思います。阪神淡路大震災(1995年)の教訓として語り継がれてきた「市民防災」とか「市民力」強化(自助と共助の精神)というスローガンをひたすら繰り返すだけでは不十分です。

今後とも必ず起こりうる災害因(地震や大雨自然現象など)に対して、大災害を発生させない(発生しても被害を最小限にとどめる)ようにしようという防災の考え方の限界がさらに厳しく問われ、一方、起こってしまった大きな被害から、どのように生活を復興するのかについて、マクロ的な復興政策とともに、それぞれの個人の日常生活の早期な回復に、より真摯に取り組まなければなりません。

いままでの防災教育で、しばしば口にしてきた「自然との共生」というような美学的な言葉では到底表現できない圧倒的な現実を目の前にして、誤解を恐れずに言えば、これからの「自然との共生」という思想には、「自然と折り合って生きる」ということでは足りず、「小さき人間がこの災害大国で生き、死んでいくこと」も含まれているのだとしみじみ感じます。

地球物理学から「地学的平穏の時代は終わった」という恐ろしい宣告を突きつけられたのは、もう30年前になります。それ以来だけでも、わが国だけでなく世界的に、巨大災害が次々と発生してきました。しかし、わたしたちは災害に向きあって生きるために、「何を変え」、「何を備えて」きたのか。その結果が、今、目の前にはっきりと晒されています。科学は沈黙するしかないと思います。

ターニング・ポイントの向こう側へ

情報化社会から情報社会へ、産業社会からポスト産業社会へのリニアな進展のなかで、わたしたちが追い求めてきたのは、決して、心の豊かさや安心・安全ではなく、市場主義のさらなる発展と効率化でした。そして、21世紀に入り、「成長力」が鈍化する成熟(完熟)社会に突入したにもかかわらず、オルタナティブな経済ビジョンや社会ビジョンを構築しようとはしてきませんでした。そして、数年前、金融工学によって世界的に引きおこされた経済的混乱からの平安を取りもどす暇もないうちに、この国は、こうして思いもかけなかった大災害に見舞われ、経済体制と国民生活が否応もなく大きなターニング・ポイントを迎えざるを得なくなりました。そのことについて次回以降、ご一緒に考えていきましょう。

 

S君へ

落ち着いたらまたふたたび、君は、人々が忘れていた優しい気持ちを思い出させてくれる美しい作品を世に問うてくれるはずです。人間は、『未来を見通す力』というパンドラの箱に残った唯一の宝物をこれからもしっかり封印し、不確実な未来に無限の「希望」を抱きながら、いつも、明日の幸せを目指し続けるのです・・・。(了)

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)
1974年早稲田大学第一法学部卒。

阪神淡路大震災(1995)当時は、被災した鉄道会社の広報担当。その後、広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て、グループ二社の社長を歴任。
2001年3月NPO日本災害情報ネットワークを設立。
2004年から広島経済大学経済学部メディアビジネス学科教授。専門は、企業広報論と災害情報論。
各地の防災士研修、行政研修や市民講座講師、地域防災・防犯活動のコーディネーターのほか、「まちづくり懇談会」座長、「まちづくりビジョン推進委員会」委員長として地域コミュニティの未来に夢を馳せている。

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