災害を乗り越える思想~IT社会はどこへ向かうのか

第3回 事業継続計画(BCP)発想の本質

概要

2011年3月11日に発生した大震災を受けて、私たちは、災害と隣り合わせの日本人の生活を改めて実感することになりました。 近代という時代のシステムを管理すると言うことが、社会と人間に対してどのような運命を提供していくのかを問います。

目次
歴史の転換点として
これからもBCP策定は進まない?
日本資本主義の精神
BCPについての新しい発想は可能か

歴史の転換点として

「どうか、3.11という呼び方をやめてくれ。3月11日を勝手に記号化しないでくれ」という叫びを聞いたときはショックでした。わたしたちは深く考えもしないで、特に外国メディアが多用する1.17とか、9.11という簡略表現を使用してきました。被災者のみなさんへの外部者によるあまりに無神経な言葉の暴力でした。まさしく大災害時の被災地と被災地の外の温度差や感覚のずれによる不幸な現象のひとつです。

ところで、3月11日という日を、この国や社会全体にとっての歴史的転換点と捉えるべきなのか、それとも宇宙的に継続する悠久の時間の中での通過点である(被害を受けられたみなさん一人ひとりにとって大きな転換点であることは言を待ちませんが)と考えるのかは、今回のテーマである「企業の事業継続計画」を考える上で非常に重要です。結論を先に言えば、この機会にこの国の産業やビジネスのありようについての発想を根本的に再構築しようとするのか、それとも国家事業としてこれから数年続けられる一連の復興作業の流れに、企業も他律的に身を委ねるのかの判断が問われているからです。

これからもBCP策定は進まない?

思えば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、この国でもBCPは強く意識され、2003年7月29日に日本経団連が開催した『企業と防災に関するシンポジウム』では、内閣府の防災担当政策統括官が、災害時における企業の地域社会貢献や企業のリスク・マネジメントなどについての強力な推進が欠かせないと指摘しました。翌年の2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では、柏崎市に二つの工場を持つリケンが被災、自動車製造に必須の部品であるピストンリングの生産がストップする事態により国内各社の自動車製造ラインが停止したこともあって、企業のBCP策定は、喫緊の課題であることは認識されていたにもかかわらず、今回の大震災でも同様の事態が発生しました。

2011年6月23日付の日経新聞朝刊に『「部品供給網 経産省が強化策」生産分散に補助金~事業継続計画策定を促す』という記事が掲載されています。記事によると「09年度時点でBCPを策定済みの大企業は全体の3割弱、中小企業は約1割にとどまっている」とあります。参考までに同じ日経新聞の2006年8月26日付の朝刊には、その当時におけるBCP策定済みの企業は、企業全体の15%にすぎず、一方、アメリカの企業は、すでに62%にのぼると報じられていました。

その記事(2011年6月23日付)によると、BCP策定が遅れている理由の第一は「他社の取り組み方や内容に関する情報不足」であると報じられています。戦後、一貫してアメリカの企業(資本主義)をモデルとして発展してきたこの国の企業が、BCP策定についてはなぜ斯くも無関心であり続けてきたのでしょうか。

日本資本主義の精神

今回の経産省の補助金は、主として部品供給体制(サプライチェーン)の整備が目的です。「供給網の寸断で生産拠点が海外に移転し、日本の産業の空洞化が進むのを防ぐ狙い」(同記事)です。しかし、BCPについてもう一つ重要な視点は、部品供給体制の寸断時にも、メーカー(部品を購入している側)が事業を継続するため、たとえば部品購入先の分散化や部品や素材の共通化などをBCPとしてどのように策定しておくのかは、それぞれの企業に任された課題です。

自動車産業に顕著なように、サプライチェーン全体が大きな生産システムに組み上げられていす。SCMにおける「全体最適」とは、その強固な物流構造によって達成されます。従って、第一義的には、BCPは部品供給側が中心的な役割を果たすわけです。アメリカのように、それぞれの企業の事業継続を、原則として個々の企業の自己責任に基づくものと考えるより、サプライチェーン全体の円滑な事業遂行を重視する傾向が強いといえます。それがwin-winな仕組みというわけです。それは一方で、もたれ合いや他者(社)依存に繋がります。

BCPについての新しい発想は可能か

BCPは「未来の規定化」です。不確実な未来を「規定化」することは、非常に困難な判断を伴います。テロ対策なら、ある程度は事前防止行動が可能ですが、大地震災害は現在の科学では予知がほとんど不可能ですから、発生後の「減災対策」が中心になります。ところが、大地震は数十年という永いスパンで(忘れた頃に)発生し、その時期もまったく不確実(テロのような「明白かつ現在の危険」ではない)のですから、いつ使うかもしれない不確実な備えとそのための投資は、時に、株主への不利益行為になるとすら考えられます。今回の大災害が「想定外」の大きさだったとはいえ、今年度の株主総会で、BCP(の不備)をテーマに激論が繰り広げられたり、経営者責任が厳しく問われたりした例は寡聞にして聞いていません。BCPは、いまだにこの国のコーポレート・ガバナンスのテーマではないのです。

この国の産業界は、仕組みとして欧米型資本主義(個人主義・自己責任)を模倣しながら、精神として日本文化(共同主義・相互依存)に依拠するという接ぎ木社会なのです。そのジレンマが、BCP策定率の低さに繋がっています。もちろん災害大国の国民の心の片隅に遺伝子レベルで沈殿している諦観や無常思想も影響がありあそうですが、いずれにしても、BCP策定の推進について、政府が部品供給側に補助金を拠出するということは、従来の産業システムと精神をそのまま持続する発想です。従って、今回の補助金制度を活用した工場分散など部品供給側の多重化は進んでも、購入側の部品購入先分散化などは、残念ながら急には進捗しないのではないかと思います。そんな発想の貧困さが、相変わらず「成長」を志向するばかりのこの国の近未来の経済や産業そのものの非力化に繋がらないことを祈るばかりです。

 

おわりに

第1回の柄谷行人の言葉を思い起こすまでもなく、大自然のあまりにも巨大な痛撃によって人間の無力に打ちひしがれ、歴史の裂け目を覗き込んだ気がしたわたしにとっての3月11日は、また、自分自身の残された生を考えるうえでの大きな転換点だと考えました。ですから、従来の連続ではない新しい物語を一歩ずつ紡いでいかなければならないと思っています。ところが、どうもそうはなっていかない雰囲気です。小手先で解決しようとするかに思えます・・・。

「歴史は、時に臨んでの民族とリーダーの行動と決断について、結果の過ちを容赦なく批判するが、ささやかな弥縫策を評価する目は持たない。つまり、歴史には何も記述されない。」

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)
1974年早稲田大学第一法学部卒。

阪神淡路大震災(1995)当時は、被災した鉄道会社の広報担当。その後、広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て、グループ二社の社長を歴任。
2001年3月NPO日本災害情報ネットワークを設立。
2004年から広島経済大学経済学部メディアビジネス学科教授。専門は、企業広報論と災害情報論。
各地の防災士研修、行政研修や市民講座講師、地域防災・防犯活動のコーディネーターのほか、「まちづくり懇談会」座長、「まちづくりビジョン推進委員会」委員長として地域コミュニティの未来に夢を馳せている。

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