日本のIT化が、アメリカよりも今ひとつ遅れている理由は何か。これは、ITに対する根本的な認識不足が災いしている、と思われる。人間誰でも行動を起こすときは、衝動的なものは別として、そこには「認識」、あるいは「決意」が介在しているはずである。今回は、ITへの認識を深める目的でテ-マを選んだ。
「IT文明」という視点でITを見直すと、これまで見えなかったものが、はっきりと見えてくる。ITの利用が新しい制度となって確立して、私たちの目前に顔を見せてくるのである。例えば「電子政府」である。立ち上がりは遅れているが、まもなく公的届けはすべてインターネット経由に変わる。制度として確立されると、私たちに有無をいわせず、それに従うことを「強制」してくるのだ。
「IT文明」には、「文明」という形容詞が付いているように、単なる「IT」ではない。ITを社会の中に制度として組み込むことである。ここで明治維新の「文明開化」を思い出していただきたい。江戸から明治へと時代は飛躍したが、「文明」は制度として、これだけのインパクトを社会に与えるのである。社会をひっくり返す力を秘めている。
企業内で、「IT文明」を正確に認識する立場にあるのは、CEOである。CEOがまったくこれに気づかずにいる場合、その企業は遠からず市場からの「退出」命令を受ける。「企業倒産」である。これはITをテクノロジーとしてのみ理解している結果であり、文明という認識が欠けるために犯す失敗である。
ITがテクノロジーとしてのみ扱われている場合、企業にCIOが存在できる場所はない。しかし、「文明」という認識が出るならば、局面はまったく変わってくる。「IT文明」はITが社会制度として認識されるから、CIOが企業内にその場所を確保できるのは当然である。CIOの不在企業は、「IT文明」の認識に欠けている企業の「代名詞」でもある。
ITを「コンピュウータ・リテラシ」程度として認識している場合、コンピュータの使い方に習熟していればそれで済む話である。しかし、「情報リテラシ」として認識すると、情報を活かした経営戦略を立てる。こうして、まったく違った局面に展開してゆく。この「情報リテラシ」では、ITに対する高度の認識がそこにあるので、「IT文明」という現代の要請に対して十分な準備が可能である。
ここで文明一般について、若干の整理をしておきたい。「文化」と「文明」の違いはよく議論されるところである。文化は精神性を示し、文明は物質性を著すという理解は、ドイツ流であって、明治維新以降、この解釈が日本で多数派になっている。
アングロ・サクソンでは、「文化」が成熟して来ると「文明」に転化するという認識になる。精神性や物質性が総合されているのである。福沢諭吉は「文明」を「内なる文明」と「外なる文明」という解釈で呼んでいた。前者は「精神性」を示し、後者は「物質性」を著すものとする。福沢はもともと文明を総合的に捉えていた。
「IT文明」は、精神性と物質性の両者を総合化したものと理解する。単なる物質性ならば、ITをツールとして位置づけておけばよい。しかし「制度」という理解になると、これは「精神性」を示してくるから、有無をいわせない「強制力」をともなう。「制度」は「規範」と解釈できるし、それに従わない場合、「企業倒産」という強制執行力が出てくるのである。
もちろん「自由社会」には、「企業倒産の自由」も与えられている。時代を見抜く力が欠ける企業の倒産は、やむを得ないものとして理解されている。これに替わって新規企業が出てきて、「新陳代謝」が実現し、社会は進歩するのである。だが、「倒産」しなくて済めば、これにこしたことはない。
(表1)経営戦略におけるIT戦略の位置づけ(単位:%)
【出典】独立行政法人 経済産業研究所(2007年3月)
(備考)有効回答企業数:日本317社、米国200社、韓国299社
(表1)を見て興味深いのは、(1)「IT戦略が経営戦略に明確に位置づけられている」のは、米国が63%、日本53%、韓国44%であることだ。つまり6:5;4という比率が意味するものは、「IT文明」の理解度を示している。韓国はIT化が進んでいると理解されているが、こういう結果になった。
(3)「経営戦略との関係が薄い」点では、当然、(1)とは逆の結果になっている。韓国18%、日本1%であるが、意外にも米国が7%になっている。日本では、IT戦略を経営戦略と無関係には行っていない結果であり、それは(2)「経営戦略で明示されていないが方針は一致している」という数字に反映されている。日本は46%である。
ここに日本の問題点が浮き彫りになっている。「曖昧」な形でIT戦略を取り入れているのである。この段階まできていれば、あと一歩踏み込んで、経営戦略とIT戦略の関係を明確にすればよいだけである。まだ、「IT文明」という認識に欠けている結果であろう。
(表2)社内におけるCIOポストの有無(単位:%)
【出典】独立行政法人 経済産業研究所(2007年3月)
(備考)有効回答企業数:日本317社、米国200社、韓国299社
(表2)において、(1)の「専任CIOがいる」のは米国38%であるのに、日本21%、韓国13%と格差が歴然としている。ここでは、4:2:1という関係である。(表1)において、(1)「IT戦略を経営戦略に明確に位置づけている」比率が、6:5:4であったから、両者の関係ははっきりしている。CEOの意識しだいで、CIOが社内ポストを確立しているか否かが明瞭になるわけだ。さて、「あなたの会社はいかがですか」。
「IT文明」を語る場合に必要なのは、「情報」という議論の重要性である。この点が曖昧にされている。この結果、「コンピュータ・リテラシ」と「情報リテラシ」が混同されるのである。次に、情報の発展過程を概略、説明しておきたい。
情報は、(1)生命情報→(2)社会情報→(3)機械情報という三段階を経て発展してきた。(1)生命情報が情報の「元祖」であり、ここから情報の歴史が始まった。生命の微妙な機能は生物内における情報の伝達による。(2)社会情報は人間社会のコミュニケーション機能を果たしており、この中から「デジタル記号」(0と1)だけが独立して、(3)機械情報になったものである。機械情報を操作するものがITである。「IT文明」は、機械情報がもう一度、生命情報に回帰しつつ、総合化されるものと考えられる。
繰り返すと「IT文明」は、単なる機械情報ではない。機械情報に対して、生命情報のもつ絶妙なバランス機能を吹き込んで、これに「均衡」を与える。「IT文明」とは、こういう解釈が成り立つのである。きわめて人間的に機械情報を利用することによって、社会の安全や幸福の追求に寄与させる。この理念が「IT文明」には含まれているのだ。
具体的には、サービス産業に分類される、第五次産業である医療や教育までの利用が考えられており、単純なIT活用ではない。これまで人間でしか扱えなかった分野に、ITを文明として取り込むことによって、イノベーション(制度、技術、販売などの変革)を実現することである。
こうした「IT文明」に、CIOはどう関わっていくのかである。一見、無関係に見えるがそうではない。「IT文明」ではITが経済活動だけでなく、広範な生活インフラの制度として利用されるので、CIOという司令塔が社会のあらゆるところで不可欠なのである。「IT文明」におけるCIOは、「ソーシャル・マネジャー」(私の造語)でもある。「IT文明」のパイロット役だ。
次回は、「IT先進企業にみるCIOの役割」である。
連載一覧
筆者紹介
勝又壽良(かつまた ひさよし)
1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回にわたり掲載。
著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)
コメント
投稿にはログインしてください