e‐Marketing文化論~新しい絆の時代へ

第6回 技術と人間性のアポリア

概要

わが国のインターネット利用人口は着実に増加を続け、いまや9,000万人を超えるという状況の中で、現代ビジネス社会はどのように変わってきたのでしょうか。そして、何が変わっていないのでしょうか。世界がネットワークによって一つに繋がれば繋がるほど、一人ひとりの個性がはっきり浮かび上がってきます。目先のトレンドや技術革新に、近視眼的に目を奪われないで、わたしたちが生きているe(electronic)の時代の進むべき方向を見定めましょう。

インターネットの真価
1995年,Windows95の発売によって,インターネット技術が一般市民も容易に利用できるコミュニケーションツールになりました。世界は,空間が究極まで圧縮され,時間差なし,コストもほとんどなく異(別)空間を身近に引き寄せることができ,また,多様かつ膨大な世界中の情報の中から,瞬時に必要な情報の検索が可能となりました。
 
この新しいメディアの生成により、「人間の中枢神経が地球規模に拡張される」という30年以上も前に唱えられたマーシャル・マクルーハンの理論が漸く、ほぼ完全なものとなったといえるでしょう。
 
さて,インターネットについて説く論者の立場は大きくふたつに分かれます。ひとつは,「既存メディアとはまったく違う位相が現出した」というインターネット・エバンジェリストであり,もうひとつは,「メディア技術の進歩による情報社会の高度化」と考える、いわば現実主義者です。その立場の違いは,インターネット至上論とインターネット技術論とでも譬えられましょう。
 
また、インターネットを「不特定多数無限大の”知”が結集する巨大なデータベース」と見るのか,それは否定しないまでも「さまざまな玉石混淆の情報が混在・流通する(猥雑な)ネットワーク」と見るかの視座の違いでもあります。
 
おじさんとしては,読者のみなさまはお察しのように、どちらかというと後者よりに、かなりクールに見つめています。そのうえで,このシリーズの終わりにあたって、インターネットが人間社会に与えた影響とその未来を少し見通しておきたいと思います。
 
挑戦と応戦
好むと好まざるとにかかわらずビジネス社会は激しい競争社会です。画期的な情報ツールであるインターネットの出現によって,それをいかに巧妙に使いこなしてビジネスに結びつけるかの大競争になりました。そのなかで,幾多の知恵者がインターネットの特性を活用した新しいビジネスモデルを創出してきました。
 
この潮流は、構造的に俯瞰しますと、大きく二つの方向があります。ひとつは従来からのビジネスモデルの”中ぬき(省略)”もしくは”リバース(逆転)”であり、もうひとつは、リアルな店舗とは別に、インターネットで可能になったバーチャル空間に店舗を構える発想です。
 
これらは、インターネットを利用した既成のビジネス社会への挑戦であったといってよいでしょう。重厚長大な産業社会の常識である資本やモノに乏しいチャレンジャーたちが、情報という新たな資産を手に入れて、強固に築きあげられた既成社会に雄々しく立ち向かったのです。
 
それを迎え撃つ旧勢力は、当初はインターネットの意義すらなかなか理解できずに鷹揚に構えていました。しかし、ビジネス界に何か得体の知れない大きな流れが押し寄せてきたことを感じて動き始めました。ホームページを作ったり、クリック&モルタルという形でインターネットを利用したりという動きです。いまでも、この構図に大きな変化はありません。
 
ここで申し上げておきたいのは、人間は、もともと、実際に目に見えないものや、手で触れられないものに関して潜在的な恐怖感があります。インターネットの世界への接近というのは、その恐怖を乗り越える必要のある行動です。心理学者や社会学者が現代の情報化社会について分析されるときに、ときにお忘れになる視点であるようにも感じます。インターネットの可能性について論じることは、そういう人間精神の限界を見極めることであり、だからこそ、どこまでも無限ではないと思えて仕方がありません。
 
勝者と敗者
インターネット社会の勝者とは誰でしょうか。思い起こせば、インターネット・バブルの崩壊という空蝉の社会現象に相前後して、はかなく消え去ってしまった幾多のバブル。そうして、経営者が一躍マスコミの寵児になったウエブサイトのいくつかは今や姿を消してしまいました。もちろん、ポータルサイトも、合従連衡や吸収合併を繰り返して、ここ数年は、数社の巨大サイトがほとんどのパソコンのウエブ立ち上がり画面を占領しています。
 
それらは、インターネット社会の敗者という位置づけでは説明できません。いや、もしそうだとしても、わずか二十年にも満たない商用インターネットの歴史において、創生期のバブルで消え去った幾多の企業はインターネット社会の成長のプロセスでの貴重な礎になってくれたと考えるべきでしょう。
 
ドッグ・イヤーと言われるインターネット技術についても、また同時的にめまぐるしい変化に対応していくべきビジネス・システムについても、一瞬たりとも「増長」したり、「気」をぬいたりしてはならないのです。いつの世も普遍のビジネスの基本姿勢が心をよぎります。誤解を恐れずに言えば、どんなビジネスにおいても「チャレンジャーが先頭に立つことはそう容易ではない」、「先頭だと考えたとき衰退が始まる」ということは、もう一度認識しておくべき教訓です。
 
進歩と循環
ここまでお話してきて、おじさんの胸のうちを去就するのはこのようなことです。インターネットという新しいメディアは、世界の多様な情報の流通を加速し、その結果として、社会を大きく変革してきました。最初に申し上げたように飛躍的に人間の能力が拡大されました。
 
しかし、そのことによって世界経済がより成長したのか、人間生活がさらに豊かになったのか、そして世界が平和になったのか(マクルーハンは「地球村」という構想を語りました)ということを考えるとどうもそうでもないのです。
 
それどころか、前世紀の後半のほうが、なんとなく精神的には安定感のある社会であったのではないでしょうか。もちろんその理由は、インターネットそのもののせいではありません。しかし、重要なことは、人間が新しく手に入れた「魔法の道具」を十分に使いこなしていないのか、それとも、使い方によっては「悪魔の道具」となるのかよく考えなければならないということです。
 
それは、これからの人間社会のありようにとって、何が、どこまで必要なのかということに関連します。人間は、これまでにもいくつもの画期的な技術を手にし、それを巧妙に利用して、現在の物質的に豊かな社会を築いてきました。ですから、わたしたちは、もう一度、インターネットという技術をほんとうに「豊かな社会」をつくるためにどう利用するべきかを考えるときだと思います。
 
現代の神話
インターネットの歴史を語るときに忘れてはならないエポックは、やはり『サイバースペース独立宣言(1996.2.8)』(A Declaration of the Independence of Cyberspace)です。アメリカで通信品位法(Communications Decency Act)が成立した日の翌日にジョン・ベリー・バーロウ が高らかに宣言した精神は、今も脈々と生きているはずです。いや、人々がその『神話』の大切さを忘れはじめたからこそインターネットの本質を見失い始めているのかもしれません。インターネットとは、従来の常識を越えた玉石混淆の情報の坩堝であるべきなのです。あくまでも、情報の集約や情報の制限はその基本的精神への反逆です。
 
インターネットは現代ビジネスを根本から改革する可能性を秘めています。今回のシリーズでは、情報の非対称性の解消、新しい関係性マーケティング、バーチャル・コミュニティ・マネジメントなどについて触れてきましたが、その大きな流れの中で、これからほんとうに変わっていくのは、ビジネスの精神そのものなのです。
 
アダム・スミスは「われわれが食事ができるのは、肉屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。人は相手の善意に訴えるのではなく、利己心に訴えるのであり、自分が何を必要としているかではなく、相手にとって何が利益になるかを説明するのだ。・・」(『国富論(上)』p.17 日本経済新聞社2007)と言っています。
 
その発想を是とし、現代社会は、個人の利益確保に邁進してきました。そして、いま、辿り着いたのはモノがあふれる豊かな社会ではあるけれども、「このうえもなく幸福な社会」とは言い難い「生きにくい社会」です。
 
それを考えるとき、前回までにお話したように、インターネットの特性を利用することで、はじまっている『共創』のビジネス社会へのあゆみをさらに前進させることが必要です。それは「自愛心」の相克ではなく、やはり「博愛心」という崇高な精神ではないでしょうか。
 
おじさんはこの機会に、ビジネスの働きかけに一方からの方向性を持った「マーケティング」という産業社会時代の用語を使うことをやめて、「マーケット・リレーションズ(市場関係)」論と変更していくつもりです。(おわり)
 
 
 
(感謝)みなさん、今シリーズも6回にわたりおつきあいいただきありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア・マーケティング論,e-マーケティング論,企業広報論,災害情報論)
阪神淡路大震災時(1995.1.17)は,関西大手私鉄広報マネージャー。広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て,グループ会社二社の社長。50歳台前半に大学教員に転じ,2004年4月から現職。体験的な知見を生かした危機管理を中心とした企業広報論は定評がある。最近は,地域の防災や防犯活動のコーディネーターをつとめるほか,「まちづくり懇談会」座長として,地域コミュニティの未来創造に尽力している。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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