ICTが正す企業文化と倫理

第5回 企業不祥事をなくすために(2)

概要

「コーポレートガバナンスや内部統制について、その見直しや強化が叫ばれる昨今、競争と効率性の追求をその本質に秘めたままの企業社会はこれからどこに向うのだろうか」について連載シリーズとして掲載いたします。

前回、企業内のいわばミニマムなコミュニティにおけるマネジメントについてコメントしました。すぐにでも、それぞれの部署でリーダーのみなさんに実行していただきたい発想のお願いでした。要は、近年のICTの充実に依存し、日常的なリアル・マネジメントを疎かにしたことが社内コミュニケーションの欠如を招いているのではないかということです。今回は、もう少しマクロ的な視野で現状を打破していく上での企業活動について整理します。

時代とコーポレート・ガバナンスのミスマッチ

ICT利用の発展について振り返りますと、1980年代はデスクトップPCによる情報管理が主眼でした。1990年代に入ってインターネットの本格的な稼動とともに、その原初的な目標であった情報の分散化と接続(情報ハイウエイ構想)が図られました。そして、2000年代には情報ネットワークの充実によって世界中に分散しているさまざまな資源を国境や文化の相違を超えて地球規模で利用することが可能になりました。

また、先進国では消費の成熟化によって、企業が互いにシェアを奪い合う時代(戦争のメタファー)を抜け出し、世界的規模でサプライチェーンを構築して、全体最適を目指す時代に入りました。これは、人間の大きな進歩だといえましょう。

そして、現代のテーマはコラボレーションであり、メタファーはコミュニティです。「コラボレーションを志向する情報マネジメントの焦点は、やりとりされる情報そのものではなく、人間関係にある」(Schrage,M, 『マインド・ネットワーク』,プレジデント社)といわれる新しいバーチャル・コミュニティの時代が到来しています。ポスト・モダンにおける人間性や文化性への回帰は、これからのICT時代を考える上で非常に大切な切り口です。

ところで、時代は絶え間なく変化し続けますが、すべての企業が時代とマッチングして進化しているわけではありません。特に、コーポレート・ガバナンスは、トップの時代認識や環境認識によって大きく左右されます。時代とその企業のコーポレート・ガバナンスのミスマッチは、ビジネス現場で実際に社会(顧客)と向き合う従業員にとっては苦悩以外の何ものでもありません。

また、そのようなミスマッチだけではなく、1990年代初めから果てしなく続いている、企業経営にとってある種の「善」と考えられている、リストラや能力主義による呪縛は、企業内コミュニティにおける従業員の精神的荒廃をもたらしているのは紛れもない事実です。

わが国は現在、そのような、時代と現実のトランジション・ステージにあって、海外から情け容赦なく押し寄せるCSRの遂行やBCP策定への要求などに目先を狂わされ、形式的なガバナンス・システムの充実や帳尻合わせを急ごうとしているのが実情ではないでしょうか。ですから、多くの企業で経営スローガンと実際の行動が合致していないのです。

ささいなことですが、つい先日、ある国際的な大企業の社会貢献室に、わたしの授業で使用するための情報と資料提供をお願いしたところ、ひどく誤解した回答を頂戴しました。一事が万事とは申しませんが、企業の未来を担う重要な部署についても、いまだに本来的な企業活動の中核ではないという認識が厳然と存在しているように感じました。

ICTの発達によるグローバルな物理的「距離の終焉」によって、人間は時空間を超えてつながりあい、知識を共有しあうことができるようになりましたが、企業内ではこのようなパラドクスが依然として存在しています。また、それを抜本的に解消する努力もあまりなされていないように思います。

それを解決する概念は、人と企業の「自分探し」

21世紀に入って、多くの企業が自分を見失っているのです。歴史の永い企業においては、頭の先まで浸りきってきた20世紀の工業化社会パラダイムからの完全脱却が遅延したままですし、新興企業においては経営基盤の軟弱性や流動化によりアイデンティティが確立されていません。それが、企業行動や社員行動の反社会性に繋がっているのではないでしょうか。

現代社会におけるさまざまなダイナミズムを冷静に観察していますと、20世紀の価値観が音を立てて崩れ始めているのがわかります。大政奉還以来の強固な社会秩序や社会的標準(ナショナル・スタンダード)とされてきた価値のイノベーションが急速に進んでいることは心しておかなければなりません。企業不祥事の頻発、官製談合や汚職の発覚というのも、そのような大きなパワーバランスの変化のなかで露呈してきた社会現象の一部です。

「企業の自分探し」とは、企業の自己変革と同義語です。新しい時代の企業のあり方を根底から再構築しなければなりません。人と企業の不正を正すこととは、企業の社会的な存在価値を見直すことです。その意味で、「なぜ今、CIブームが再燃しないのか」が不思議でなりません。法律に追いかけられたコーポレート・ガバナンスやコンプライアンスの充実という表層的かつ技術的な問題だけでは到底解決できない事態に直面しているのです。

企業の経営理念は、その企業のコーポレート・ガバナンスに大きな影響を与えます。行動目標まで含めた広義の経営理念が、すべての企業活動の羅針盤です。従って、時代の要請に合った正しい経営理念の確立こそが、人と企業が罪を犯さないための第一ステップであるはずです。

あわせて、学校教育改革だけではなく、企業経営者教育の充実も喫緊の社会的課題です。従来からアメリカでは、MBA取得者による短期的な利益確保の発想や行動が話題にされています。しかし、社会を震撼させた巨大企業の不祥事は記憶に新しいところですが、大部分の企業では、人格的にも優れた経営者が社会とのコラボレートを推進し、真摯に社会的責任を果たそうと努めています。

それに比べると、わが国ではあまりにも稚拙な不祥事が続きます。呆れるような粉飾決算や官庁への提出資料のデータ改竄などはその端的な例です。卑屈な隠蔽体質以外の何ものでもありません。誤解を恐れずに言えば、このような不祥事には、「悪の論理」すら存在していません。

ここまできて漸く、ICTという社会(企業)インフラが、人と企業の不正を正すということが見えてきたように思います。つまり、ICTの負の部分であるリアル・コミュニティの希薄さが現在社会におけるさまざまな陰を作り出しているのです。ですから、知識の共有化やコラボレートというICTの正の部分の活用が、リアルな人間同士のコミュニケーションをふたたび活性化し、共生の社会を作り出してくれることを信じたいと思います。

最終回に向けての大きなテーマ

一般社会では、倫理や道徳は、人間が共生して生きていくための最低限のルールであり、集団的な目標ではありません。人間はすべて、倫理や道徳に反しない限り、自分の望むどの方向に歩み出そうと自由です。それが民主主義、自由主義社会の原則です。

しかし、企業では、企業理念という独自の目標を持っています。社会人が自分の生き方のポリシーを持つことがアイデンティティであるのと同様です。そして、その理念によって企業に属するすべての従業員の意識と行動が既定されます。経営理念の重要性を縷々述べてきたところですが、翻って、企業社会というのは、決して民主主義社会ではないのです。

企業=株式会社の成り立ちから始まって、ここまで考察を進めてきた中で、これからの企業のありようについて、この本質的な考察が残っています。最終回にご一緒に考えましょう。

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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