はじめに
前回は「VUCA時代におけるDXキャリア形成 ~偶然を作り出す行動指針~」というタイトルで、「偶然を見つけるための行動指針を持ちつつ行動していきましょう」ということをお話させていただきました。
https://www.sysadmingroup.jp/kh/p26615/
今回は、私の職歴を交えて現場、現場との伴走者について、しみじみしたお話をさせていただきつつ、現場の伴走者になるには、現場を支える伴走者ついて考えてみたことをお話しさせていただきます。
私が経験してきた現場と仕事(プロジェクト)
(1.小売業)-----------------------------------
就職超氷河期、情報システム部署希望で新卒入社。諸々ありまして部署希望叶わず、小売業のデリカテッセン課にて要員・販売管理。
朝は品出し、お惣菜の製造、昼は寒い冷凍庫や現場を見ながら発注業務を行いつつパートタイマーさんへの指示、必要に応じてシフト表で不足している作業工程のフォローでピザ、お寿司、揚げ物の製造、夜はアルバイトメンバーに指示しながら、売上粗利管理など。
約2年でManagerに昇進。課を引き継いだが、前任Managerが残した300万の架空在庫問題(-300万のスタート)を任されてしまう。いきなり苦境にたたされ、本当に悲惨な状況を経験。勝負に出たいと思っても出ることができない、誰からもリカバリーしてもらえない。しかし、徹底的な在庫管理とITを活用した売粗管理により半年でそのShop借金300万を返済したのは今でもいい思い出。辛くやりきった仕事って結構よく覚えているもので。
管理者であったとはいえ、パートタイマーの従業員からすれば息子のような年の若造でした。大変ではありましたが、現場パートタイマーとのコミュニケーションから、パートタイマー契約含めた人事、人間関係、適材適所での配置、不定期の現場内移動など様々な課題に現場で立ち向かった経験が出来たのは良かった。
またちょうど入社した年はその会社の球団が初優勝した年でもあり、色々売り方も含めて勉強させてもらったことをよく覚えている。
博多料亭 稚加榮でSV(スーパーバイザー)と呑みながら、次のジョブの提案をいただき慰留いただいたが退職。
●小売業の現場を通じてBtoCの業務を経験●
(2.システム開発会社)------------------------------
小売業退職後、システム開発会社に転職。もともとIT関連の仕事に携わりたかったことと、とあるシステム会社が福岡支店立ち上げということで人を募集していたこともあり、トントン拍子で再就職が決まる。
Microsoft社の開発ソフトを自腹で購入して自主学習から始まり、めでたく入社3カ月でアサイン(ソフトウェア開発会社に常駐)が決まったものの、3台のノートPCで異なるプロジェクトの開発をやるほどの多忙。先輩社員に教えてもらうときは、お金を請求される(半分冗談)、というストレス、プレッシャーを受けながらも必死に食らいつく。技術者としてはだいぶここで鍛えられた感がある。
所属のシステム開発会社はいわゆるソフトウェアエンジニアリングサービスを提供する仕事が多かったため、社員は異なるクライアント先の職場に派遣されることが多かった。
私は帰属意識という観点で課題を感じ、社内ポータルサイトの構築、書類の標準化を推進するなど、業務改善を進めていき社員旅行などでも幹事や盛り上げ役に。
気がついたらリーダー、主任に昇進。
●異なる現場間を繋げるための社内ポータル構築、標準化などの業務改善など推進して、現場間を共有できるように●
(3.システムインテグレータ)---------------------------
2.で多忙のソフトウェア開発会社を経験した私はとあるシステムインテグレータの開発要員として入ることになる。とあるパッケージのシステム保守要員から、スクラッチ開発の開発メンバーとして中核を担うようになり、派遣社員でありながらプロジェクトリーダーをさせてほしいと、派遣先部長に直談判して、とあるパッケージの導入PJ現場リーダーを担当させてもらえるようになる。
そこからクライアントとのMTG、要件調整などしながら、パッケージ製品のツールを導入後も、自主的に現場での使用感を実際操作される担当の方と直接話して聞いて回り、更にクライアントへ提案して仕事を取ってくるプリセールス的な立ち位置も確立してきた。
その後、様々な経緯があったが、途中挟んでシステムインテグレータの社員として働くこととなる。ここでもプロジェクトマネージャ、リーダーとしてWBS作成、スケジュール作成、コスト管理、進捗、要員管理などなどいわゆるプロジェクトマネジメント、EVM(Earned Value Management)などのツールを駆使しながら、仕事にあたる。
ERPパッケージ、行政、EDI発注、健保、生産管理、販売、経理、勤怠、OCR、福利厚生などなど本当に様々なプロジェクトを経験してきた。もともと多忙のソフトウェア開発会社でたたき上げられた経験もあったので、要員不足で開発が間に合わなくても、コストオーバーになりそうになっても、進捗が遅れそうになっても、提供データベースのパフォーマンスが落ちてしまい大トラブルになっても、プレイングマネージャとして自力で時には他力を借りながら課題をクリアしながらQCDを担保してきた。新入社員、未経験メンバーを育てながらQCDを担保してきたつもりでそれは今も記憶している。
また、想定外のリスクに備えて、コンティンジェンシー分のバッファを保持するようにプランニングすることを心掛けていた。
ただ、ERPパッケージの導入は良い意味でも悪い意味でも標準化、体系化されていることが多く、過去のやり方を踏襲すればプロジェクト成功する角度が高く、自身のキャリアとしての限界を感じるようになる。このままでいいのだろうか、と。ちょうど30代後半のころ。
●現場に足を運び、課題解決しつつ、更に新しい価値を提供する活動をしながら、クライアント現場の伴走者として●
(4.システムインテグレータ – DXプロジェクトとして)----------------
キャリアの転換期に差し掛かっていたところ、DX(Digital Transformation)の新部門(研究開発)が立ち上がるとお聞きして、異動して東京勤務のスタート。
AI(MicrosoftAzureの機械学習)、IoT(iBeaconを用いた人流解析)、xR(UnityやHololensでのアプリ開発)などなど、本当に多くを経験。
主としてIoT関連の担当を行っていたが、すべてを自分で切り開いていくことが必要になってきたこともあり苦労する。
インフラ関連、開発、顧客調整、契約書周り、などなどほぼ自分で全てやらないといけない、研究開発ならではの他組織からの見えないプレッシャー、期待値コントロールなどなど、本当に多くのことを経験させていただいた。立ち回り、期待値コントロール、クライアント側の制約、前提条件を正確に把握する、など。
PoC~本契約へという観点も含めてゼロから事業を立ち上げていく苦労を本当に身に染みて体感できたというのが本音。
最終的に転職するという決断をさせていただいたが、本当に一緒に仕事させていただいた同僚、上司の皆様には感謝の気持ち一杯で、今でもお付き合いいただいていることに感謝している。
●主に製造業の現場を見てまわり、クライアントの課題をヒアリングしつつPoC、DX推進をしていくという貴重な経験、現場の伴走者として●
(5.コンサルティング – BPO+DX)-------------------------
BPO(Business Process Outsourcing)+DX観点で仕事を始める。
BPOに関わること自体がはじめてのため、SIやシステム開発とは若干契約や体制の確保の仕方、保守の考えなどが異なることに当初は違和感があった。ただBPO自体は1.の小売での経験も近いものと感じており、それに付随したテクノロジー支援という形で伴走しながら業務効率化を推進している。
難易度の高いプロジェクトが多く、Globalとのやりとりもそれなりに発生して言葉の壁にも悩まされた時期もあったが、もともとプレイングマネージャとして前職でも対応していたことが生きており、I&D(インクルージョン&ダイバーシティ)などの浸透の高さや、結果を出している方が評価いただける観点は非常に合理的であると感じており現在に至る。
●難易度の高いプロジェクトが多いが、BPO現場での改善を具現化していく経験をしながら、BPO現場の伴走者(テクノロジーコンサルタント)として●
DXプロジェクト現場を支える伴走者になるには ~ DXプロジェクトを成功させるために ~
DXプロジェクトを成功させるために、現場の伴走者として立ち回るにはどういう考え方や進め方がいいのか、私なりに考えてみました。
<現場の伴走者となるには>
① 可能な限り現場、クライアントの方と同じ目線で話せるような環境に身を置く。
→現場の雰囲気なども含めて、現場にいなければわからない観点は常に存在。
可能な限り現場の話ができる環境に身を置くことが大事。キーマンとの相関関係がわかるとなお良い。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で・・。」
② チームメンバーがパフォーマンスを出せるように、雑用係(何でも屋)も引き受ける。
→雑用係をひたすらやるのではなく、時には全体最適として雑用係を担当する。
③ 可能な限り見逃がしている、落ちているタスクを拾い上げる役目を担う。横断的に細部まで徹底的にタスクを洗い出す。
→DXプロジェクトでは都度状況が変化することが多く、新たに出たタスクを拾いきれないケースがある。敢えて落ちている「見て見ぬふりされている作業」、「誰も気づいていない作業」を拾うことが必要。
④ 当然全て自分でする必要はない。最適な人に投げ返す。
→仕事を受け取ってばかりでは自分のタスクが増える一方。拾ったら投げ返す、打ち返す。
投げ返す、打ち返し方は相手をみて対応する。
⑤ クライアント、部署間、現場との温度感を合わせる裏方的な役目も担う。時には本気度を伝えるために感情的にも。本気にならなければ伝わらないこともある。
→温度感が違う、温度を合わせる必要があればこちらの熱を相手に伝える。お互いの状況を理解しあう。可能な限り関係する会議には参加したりしながら、部署間をつなぐハブになっていくことで無駄なコミュニケーションコストを増やさないように努める。
⑥チームメンバーに対して、自分の欠点は晒してもいい。メンバーとの心理的安全性を高めるよう努めながら、人を生かす。
→何でも言える環境を作るために現場のメンバーとは意思疎通できる環境を事前に醸成する。適材適所で人を生かす。
⑦組織論・手法を二元論として判断せずプロジェクト、仕事に合わせて変化させていく。
→アジャイルとウォーターフォール、支配型とサーバント、リモートワークと現場などなど。
様々な考え方がありますが、プロジェクト、組織、状況に応じていいところを補完しあいながらハイブリッドで推進する。
DXプロジェクトは都度状況が変化することが多いため、非常にプロジェクトとして難易度が高いと考えております。実際ITプロジェクトの成功率は30%と言われていると以前どこかのニュースで聞いていたことがありますが(但し、何をもって成功とするかはありますが。)、DXプロジェクトに至っては更に成功率は低いものと推測されます。
私が考えている現場の伴走者は決して華やかなポジションではないかもしれませんし、他から見られたらただ雑用を引き受けている、他人から見たらいつも無駄に忙しいと、そういうポジションに見えてしまうかもしれません。
ですが、こういう現場の伴走者が少しでも増えることが、DXプロジェクトの成功率を高める結果になる、またDXリーダーとして相応しい、私はそう考えております。
最後に
私は大学時代「戦争」をテーマに論文を書くぐらい、戦争の歴史に興味を持っております。
最近だと、キングダムという中国春秋戦国時代をテーマに描いた漫画や、薩摩、日向の戦国大名である島津が特に好きでして、キングダムだと特に「刎頸の交わり」という言葉でも有名な廉頗(れんぱ)将軍の「老いてもバリバリの現役」な感じに憧れます。老将ではありますが、現代だと企業を渡り歩く、プロ経営者のようにもその姿は見えます。
また、真実はわかりませんが、陣(じん)という性を賜ったと伝え聞いている、島津義弘公にも憧れています。
義弘公も関ケ原の合戦ではもう老将というべき年でしたが、「鬼島津」と呼ばれたり、「島津の退き口」とよばれる敵中突破を敢行したり「老いてもバリバリの現役」な感じはまさしく、という感じです。
50歳が目の前に見えてきた私ではありますが、彼らのように生涯プロフェッショナルとして活動し続けたいし、自分なりの筋を通し続けて生きていたい。
今回、私は現場を支える伴走者としての在り方や重要性を自身の経験や考えをもとにお話しいたしましたが、
キングダムや島津義弘公は私自身の
成長の伴走者、生涯現役でありつづけるための伴走者
であるかもしれません。
長文お付き合いいただき誠にありがとうございました。
最後に本内容は私個人の見解に基づくものであり、所属する組織の公式見解ではないことを申し添えさせていただきます。
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筆者紹介
(一般社団法人 日本ITストラテジスト協会 理事)
福岡市在住。
SI経験・DX(IoT/AI/xR/RPA)・新規事業開発経験を活かし、先端的なDigital技術活用によるBPR支援に従事。
【主な著書(いずれも共著)】
「IoT しくみと技術がしっかりわかる教科書」 技術評論社
【講師、講演歴】
・ロボット・IoT専門人材育成 講師(IoT推進ラボ)
・ET&IoT West(ナノオプトメディア)
・FukuokaIntegrationX ファシリテータ(FIX事務局、福岡市IoTコンソーシアム)
https://www.youtube.com/channel/UCbkle3SGyvz6XZeuYWeILhw/
・IoT Business Transformation講師(福岡市IoTコンソーシアム)
・IoT検定・IoTリテラシーWG講師(福岡市IoTコンソーシアム)
・大阪デザイン&ITテクノロジー専門学校 特別講師
【情報】
Twitter(@VMA_Japan)
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