概要
これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。
最近、中国通の知人の紹介で、「大秦帝国」という映画をみる機会があった。 2部構成で、10時間に及ぶ大作である。 2006年に中国で製作されたTVドラマで人気のドラマであったという。 全部で51話のTVドラマを10時間の映画に編集したものである。 各部ごとに10分の休憩が挿入されているので、結局は、4分割されている。 このTV映画が現代の中国で放映され、かつ日本でも、映画で上映されることがなんとも世相を批判するという因縁を感じるのである。 内容は、だれでも知っている秦の始皇帝が秦帝国として中国を統一する時代から、6代前、100年以上も遡る頃、秦統一の本当の礎を築いた秦25代目の「孝公」と富国強兵策を提言する法家の「商鞅」による国家改革の物語である。
我々は、日本の古代史を満足に学んでいない、古事記、日本書紀、万葉集をしっかりと学ぶことは無い。 またそうした歴史を映画にして国民の意識を高めることも無い。 実に不思議な民族であると思う。 国史を知らない民族、それが日本人である。 まして、中国の歴史や、西洋の歴史となると、入試のために年表のうわべだけを辿るだけでその流を知る学習は殆どないといってもよかろう。 これはゆゆしき問題であると痛感している。 戦後のGHQによる教育指導で、歴史と地理を教えることが制限された、それが60年を経てこうした歴史不在の民族を作り上げてしまったのかもしれない。 恥ずかしながら、年をとってから、古代史に関心が強まり、書物を手にすることが増えている。 そして、日本の古代史を学ぶときに、中国と韓国の歴史を知らない限り、日本の歴史を正確に理解することは出来ないことが判る。 日本の古代は、現代では想像も出来ないほど大陸と密接な関係にあった。 国内の様々な事件が、実は大陸の勢力抗争に原因があることが理解されると、従来の歴史感覚がまるで違ってくる。 古代は、はるかにグローバル化が進んでいたといっても過言ではない。 日本海は大陸と日本を結ぶ文化の大動脈であった。
中国の歴史は殷から始まり、周の時代となる、孔子は、周の時代は聖が政治をした時代として理想的な政治が行われた時代であるとしている。 紀元前12世紀から、紀元前5世紀頃まで周の時代が続く。 周の善政が次第に崩壊して、紀元前8世紀には春秋の時代となり、さらに分裂して紀元前5世紀には戦国時代となる。 戦国の7雄が割拠し、諸子百家が活躍する春秋戦国の時代となる。 映画は、その中の一つの秦の改革の物語である。 秦の25代目の君主となる「孝公」の時代(紀元前361年頃)、黄河の東には、6つの強国があった。 斉、楚、魏、燕、韓、趙である。その他にも、十数カ国の小国があった。秦は国力を失い貴族が勢力を持ち改革を阻み、存亡の危機にあった。 かつて、秦を春秋の7雄の強国にしたのは、秦の9代目の君主の「穆公」であった。 「穆公」が無くなると秦は内部の権力闘争にあけくれて、硬直化した貴族(官僚)が過去の栄光にしがみつきつつ跋扈して、次第に他国から馬鹿にされて歴史から消え去る運命にあった。「孝公」の時代はとはそんな時代であった。 この間に、他国は、改革を進め富国強兵につとめて国を富ませていたのである。
こうした時代から延々と続く、中国の、歴史とそこから生まれた文化は、日本の武士にとっては、政を行い、道徳を治めるための、お手本となって来たのである。 現代でも、多くの識者が、そうした中国の古典、文典にある、四文字熟語や、古人の言葉を、急所で引用するように、現代に遭遇する様々な問題は、歴史を辿るとき、どこかに、学ぶべき事例となって発見することが出来るのである。 そうした古人の残した言葉が使われた場面や背景を、歴史の中に知ることは、どれだけ人生を豊にしてくれるか、人生を励ましてくれるか、判らないものである。
国家を改革しなければ国家は滅亡するという危機感をもった「孝公」は諸国から人材を求めた。 その中に、魏から逃れてきた「商鞅」がいた。 「商鞅」は「人治の政治」でなく、「法治の政治」を説き、「富国強兵策」を献策する。 そして、そこから四半世紀に及ぶ、法治国家による富国強兵を目指す国家の改革が、孝公と商鞅により始まるのである。 この二人にとって最大の敵は外敵ではなかった、旧弊にしがみつき、自分たちの権益を守ることしか判断基準をもたない貴族集団(官僚)こそ、内なる最大の敵であった。 この貴族は、秦の長い歴史を通じて圧倒的な権力と勢力を保持しており、貴族が反乱を起こせば、すでに飾り物的な存在となっていた君主では改革は挫折する運命にあった。 その構図は、まさに、現代の日本の官僚制度に相似するのではなかろうか。 そして、同時にそれは、現代の中国の制度にも相似する。 このTV映画が人気を博した背景はこれに尽きると思う。
「孝公」と「商鞅」は、国家、官僚、貴族を全く信用しなくなっていた「秦の民」からの信頼を回復することにより、改革の最大の抵抗勢力である貴族集団の権力をそぎ落とししていくのである。 この映画が現代に示唆するものは、組織のトップと改革のリーダーの絶対的な信頼関係、改革とは自らの命を賭して望むべき仕事であること、そして、国民を信じて国民の信頼を得ることで改革は成り立つことである。 為政者はいかにあるべきか、人治でなく法治で統治することの意味、この映画の問いかけるものは現代に有意義である。 孝公と商鞅の政治改革に始まり、それから100年のあとにはじめての中央集権国家である「中華帝国」と始皇帝が誕生する。 改革が始まって、始皇帝が誕生するまで100年という時間が必要であった。秦帝国は始皇帝一人で成し遂げたものではない。 始皇帝が成し遂げた帝国が、中国初めての帝国であり、その枠組みが現代の中国の基盤を作り上げているのである。 始皇帝の改革が今の中国の基本的骨格であるといってもよいものである。 改革とはそうした長い時間とその間の厳しい継続した努力がなければ実現しないものである。始皇帝の帝王教育のテキストは、商鞅が残した「商君書」であった。 始皇帝は大変聡明で勉強家であった、そして、その始皇帝の最後の指導者が「韓非子」である。
日本では小泉前首相が「改革、改革!」と叫んで国民を啓蒙して、郵政を民生化した、米国では、オバマ大統領が「改革、改革!」と叫んで国民を啓蒙した。 そしてマスコミも「改革はとめるな!」と叫んでいる。 そして、だれも、「改革」の中身を明確に定義することをしない。 改革とは、そんな安易なものではないし、短期間で成し遂げられるものではない、時代を見通した明確な目的意識と、リーダーの命を懸けた不退転の覚悟、想像を絶する反対勢力との長い時間の対峙を経て、初めて成し遂げられるものである。 それは、企業の経営においても同じである。
参考書籍
「大秦帝国」 SPO DVD
「始皇帝」 安能 務 (文春文庫)
「韓非子」(上、下) 安能 務 (文春文庫)
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筆者紹介
RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。
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