概要
これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。
道(WAY)を求める企業
最近ではXXX―Wayと呼ばれるものが盛んに喧伝(けんでん)されている。 著名なものでは、Toyata Way, HP Way, Fujitus Way、Komatsu Wayなどである。 辞書を引くと、「Way」は、複数形で用いるとき、習慣、流儀、風習、様式などを意味するとある。 今、なぜ、こうしたことが話題となるのであろうか、その背景を考えてみた。
バブル崩壊が残したもの
1970年代、日本的経営は世界の垂涎(すいぜん)の的となった。 1980年代の日本は繁栄を謳歌した。 そのとき、日本の繁栄の仕組みを知るために、欧米の大學や機関が日本に大勢の調査団を送り込み、徹底的に日本的経営の分析をおこなった。そして、様々な著作が発表された。典型的なものとしては「Made In America」がある。 共通して日本の成功の理由として指摘したものは、終身雇用、年功序列、労使協調、官民協調、充実した社会保障、間接金融制度であった。 米国は、新自由主義を掲げて、こうした日本の制度は自由競争を阻害するものであるとして、米国と同じ土俵でビジネスをすることを主張した。 そして、プラザ合意をキッカケに日本のバブルが崩壊した。 このバブルの本当の後遺症は、かつて日本的経営として日本の繁栄を後押ししてきた制度を崩壊させたことである。 株式資本主義が徹底し、個人の価値観が強調され、能力主義が採用され、労働の流動性が叫ばれ、契約社員制度が常態化し、個人の労働の対価として賃金を貰うという、社会が一挙に形成されてしまった。 個人主義、価値観の多様化、ワークライフバランス、ワークシェアなどが、当たり前のように一挙に企業を変質させてしまった。 この結果、職縁社会が崩壊し、企業は社員の求心力を失ってしまった。 その結果、社員の士気が低下し、企業の生産性や、仕事の品質の劣化現象が現れ始めたのではなかろうか。 そして、それを矯正するためにガバナンスなることが強調されるようになっているが、それがますます社員の活性化を阻害している。
社員の求心力の再生
ゆとり教育の弊害、核家族化と家庭教育の崩壊、そして、個人をあまりに尊重するがゆえの公共心の欠落などが相まって、それがそのまま企業の中に持ち込まれていく。 企業内では、米国式のフラットな組織が流行し、組織の細分化と、専門化が進む。 机を並べていても、隣の島の人とは交流が無い、終日パソコンの画面と向き合い、挨拶も、会話もない、そんな日常が流れていくようなオフィスが近代的なオフィスとされる。 フリーアドレスとか言われモデルオフィスとして紹介されるが、心の交流は荒廃の一途であると思う。 部下や仲間の心や体調の変化にも無関心で、無断でやすんでもチェックも疎かとなり、孤独死状態で発見されることも起きている。 こうして、家庭、社会、企業、での絆の崩壊は社会的な問題となっている。 だから、「絆」という言葉が時代の言葉となる。 これらを全て企業で解決することは出来ない。 しかし、企業としては、企業活動が円滑に運用されるためには、せめて企業に社員を拘束する時間だけでも、企業への求心力を高める経営努力が必須となる。 これが、社員の企業への求心力の再生という社会的な行動となっているものと観察する。
企業ブランドの意味
歴史のある企業は、企業文化というものが有る。 それは、企業のもっているDNAのようなものであり、企業風土とも言えるものである。 社員の言動、企業の行動が、自然に醸し出す、独特の雰囲気というものとなる。 それを象徴するものが企業ブランドであると思っている。 そこには、長い年月をかけて、創業の精神を進化させつつ多くの経営者や、先輩が、培ってきた、思想や行動という無形の基盤ができているものである。 トヨタ、松下、日立、ソニー、などなど、ブランド名を聞いただけで、直感的に感じさせるものが生まれる。 しかし、企業が大きくなり、上述のような社員が増加してくるとき、企業の底流に流れる企業風土、企業文化に知らず知らずの間に劣化現象が忍び込むことになる。 企業の業績がよいときには、その劣化現象が企業内に無意識に転移現象が進展していても気づくことがない。 先見性のある一部の人が気づいていても全く世迷い言として封殺される。
そして、企業業績がおかしくなったときに、転移している劣化現象が一気に顕在化することになる。 それが、不祥事とか、トラブルとか、品質問題とか、顧客満足度低下となって、現れることになる。 従って、心ある企業やその経営者は、企業の業績の良し悪しに係わらず、企業文化の周知徹底のための努力を惜しまないものである。 その努力なくして、企業文化を健康に維持し発展させていくことは出来ない。 最悪のケースは、黄金の額に入れた、美しい企業理念や行動指針を、社長室や、役員の部屋の壁に掲げて、自己満足しているか、その意味を周知徹底しかつ自らの行動で実践することをせずに、自慢している企業である。 「顧客第一主義」など、どこの企業の企業理念にもあるが、そのような企業に限って、大きな不祥事を起こしている。 「赤福」や、「吉兆」などが、その例であろうが、この手の例は枚挙にいとまながない。 経営者が「心の底から思い、理解し、みずから実践し、それを社員に感得してもらう」これが企業理念敷衍の原点なのである。
新たな企業理念、行動指針の再生
この減少は、どうやら、日本だけでなく、世界的な傾向となっている。 グローバル化がもの凄い勢いで進展したこの四半世紀であるが、世界中に拡散している、従業員やステークホルダーの人々が、企業活動の品質を上げるための、求心力のある経営がますます必須となっている。 典型的な事例は、米国IBMがある。 IBMは、世界に散在する従業員にIBM WAYを徹底されるために、 全員参加での行動規範を作成している。 これを、IBM JAM Session と読んでいる。 ネットワークを利用した全員参加の広場を作り、IBMの目指すべき方向を、全員参加で議論させる。 その議論を時間をかけて、徹底的に焼結させていくというプロセスをとっている。 そして、その結果、煮詰められた、言葉を、企業の行動理念、行動指針として、全員に徹底するという強い経営が行われる。 この事の意味するところ、IBMには、かつてワトソンの作った理念があったが、それが時代の中で褪色していることを意味する。 だから、その意志を引き継ぎながら、新しい時代に適合した言葉に進化させていくという努力が必要であることを意味する。 今や、時代の変化は激しい、創業当時の時代背景と現代の時代背景はまるで違っている。 それにも係わらず創業の精神への復帰という言葉が、大企業の中で言われる。 とりわけ、企業が空前の危機となるとき、創業の精神への復帰が叫ばれる。 しかし、時代背景がまるで違っている中で、創業精神への復帰が本当に正しいのか、真剣な検討が必要であると思う。 大事なことは、創業の精神に込められた精神を現代に進化させた創業精神への回帰でなければ成らないと思う。
そして、「ホンモノ」へ
米国発の金融危機が世界的な経済危機を巻き起こした。 多くの企業は厳しい赤字を体験することになり、厳しい経済環境で生き残りをかけての経営改革に取り組むことになる。 そのときに、まさに、創業の精神を、現代に進化させた形での、企業理念、行動指針の、再確認、再構築、再定義が、起きる。 このことが、XXX WAYが叫ばれる理由であると思っている。 その時に、大事なことは、その進化した理念や指針が、社員一人一人の心の中に染みこんで、行動の規範とならなければ、絵に描いた餅であり、企業理念創作遊びとなる。 大事なことは、どうすれば、社員が理念、指針を、作られたものでなく、自らを律する自分のものに出来るようなものになるか、その再構築の思い、プロセス、普及、徹底、実践、評価、という、組織活動への定着化を計る日常活動の仕組みを作ることである。 定着させるには即効薬はない、長い時間が掛かるのである、その間、倦むことなく、これを実践していく必要がある。 経営者は、宣教師であり、実践者でなければ、社員を説得することは不可能となる。 どんな高邁な理念や指針も、経営者の迂闊な行動一つで、紙屑となる。 再構築された理念や指針は、これまでの企業の歴史のDNAの継承であるとともに、あらたな出発点なのである。 間違っても、再構築したことで、出来上がったなどと錯覚するべきではない。 出発点に立っただけである。 行動し、実践しなければ、いつまでも、出発点である。 号砲が鳴って、最初に飛び出すのは、経営者でなければならない。 社員の最後に経営者が並んで社員のおしりを叩いているようでは、号砲がなっても、だれも走り出す人は居ない。
すべては、トップに戻る
縷々のべてきたが、企業は経営者、とりわけトップで決まる。 トップの生き様、考え方、人生観、行動様式、言動、などなどが、企業活動を決めていくのである。 従って、いま、企業の彼方此方で発生している、企業理念、ビジョン、行動指針、規範などの、再点検の動きとは、結局のところ、経営トップの人間性そのものに還元してくるものなのである。 自分はどう生きるか、自分は社会、市場、顧客、社員と、どのように向き合うのか、という原点を問い直すことに帰着するのである。 社員の為に、社員の求心力を高めるために、と思っている限りは、借りてきた手本のようなものであり、だれも信用することはないのである。 このことを充分に自覚し、率先して、実践したときに、初めて、それが、理念や、指針としての、資格をもつことになる。 社員は、そのことを本能的に知っているのである。 それは、経営者が一度、経営者という立場を離れて、自らを、社員という立場において考えてみれば容易に理解されることである。
連載一覧
筆者紹介
伊東 玄(いとう けん)
RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。
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