概要
今後の企業を取り巻く環境変化のなかで、労働力不足が大きな問題になっている。昨今の大卒を巡る就職争奪戦は、かつての高度経済成長時代を彷彿とさせるものがある。その状況は、これからますます激化して行くが、日本経済や企業経営にとってこれを切り抜ける方法は、ただ一つ、IT投資(IT資本)を軸とした生産性向上によるしかない。これさえ実現できれば、「人口減社会」は乗り切れる。その具体的処方箋をここに展開する。
1980年代後半、日本はいわゆるバブル経済に突入した。当時の日本にはまだそのような自覚はなく、これで「アメリカ経済を追い抜いて世界の覇者になれる」という幻想に酔い痴れていた。一方のアメリカは商務省を中心にして、冷静に自国の弱点を分析すると同時に、日本産業の強さを研究し「捲土重来」を期していた。片や日本が有頂天になり、片やアメリカは冷静に「日米逆転」の要因を探しながら対応策を探っていた。
アメリカ側は、日本の工業製品の生産過程に見られる抜群の歩留まり率の高さが、一般工員の自主性と協力性にあることを突き止めた。この結果、アメリカは労務管理や工程管理を大幅に簡素化して、「労働者の反乱」であるサボタージュを防ぐとともに、職場での監督者を減らすことによって管理コストの削減に成功した。実はこれが、その後のアメリカ産業の立ち直りのきっかけとなり、具体的には企業経営にインターネットなどITを導入して経営改革に本腰をいれてゆく契機となった。
アメリカ産業が「労働者の反乱」に手を焼いていたのは、ホワイトカラーとブルーカラーを意識的に区別して、ブルーカラーを「人間」として扱わなかったことにある。彼らはホワイトカラーの指令通りに仕事をすれば、それでよいという立場に置かれていた。これがブルーカラーの職場反乱を招いた。その点で日本企業は、ホワイトもブルーも区別せず、各職場にブルーカラーからの「提案箱」を設置して職場の一体感を醸し出し、生産性向上を実現していたのである。
アメリカを初めヨーロッパでは、この日本方式を新鮮な驚きをもって迎えて、「これぞ日本型経営」と賞賛の眼差しを向けた。しかし、日本型経営が世界の注目を浴びたのはここまでであった。その後1990年代初頭からのバブル経済の崩壊により、大規模な人員整理を余儀なくされて、経営が泥沼にはまりこんだ記憶はいまだ生々しいところである。
アメリカ企業が見事なカンバックをしたのは、まずインターネットを縦横無尽に活用した結果である。これは、「アメリカ資本主義精神」の健在を証明したことに他ならなかった。アメリカが世界経済の覇権を握ったのは、1920年代からである。ドイツの有名な社会学者のマックス・ウエーバーは1905年、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義精神の体現者としてキリスト教のプロテスタントをあげており、アメリカの経営者にその具体的姿を認めていた。質素・倹約・勤勉などプロテスタントとしての模範的信仰者としてのすべてを備えているアメリカ経営者に、資本主義経済の発展性を秘めていると見たのである。
ウエーバーは、アメリカ人だけでなくプロテスタント一般に注目した。そして、資本主義の精神はプロテスタンティズムの倫理と固く結びついていると喝破した。資本主義の精神とは何か。ウエーバーによると「合理的精神」であり、さらに敷衍すれば「合理的経済計算」であるという。「イチかバチか」の山師的な「投機的行動」をせずに、手堅い経済計算こそ資本主義精神の神髄であるとした。それにはプロテスタンティズムの倫理が最適であると読んだのである。20世紀初頭の資本主義経済において、「合理的経済計算」の実現とは工業化促進である。絶えず「イノベーション」(革新)を追求することにより、その利益が倫理的にも許容可能になるという前提が、ウエーバーにはあったと見られる。
今日、中国経済が世界の注目を浴びている。GDP(国内総生産)総額において、2030年頃には日本はおろかアメリカすら追い抜いて、世界一の経済大国になると中国自身も信じ込んでいる節がある。しかし、「合理的経済計算」が市場経済の精神とすれば、現代中国は「社会主義市場経済」を標榜しているものの、「合理的経済計算」とは「似ても似つかぬ」社会である。汚職・賄賂・贋作・社会不安などが蔓延している。
市場経済の根幹には本来、不偏不党・規則(法治)・清廉な近代官僚制が完備していなければならない。秦国以来、中国官僚機構は現在まで伝統的に自己保身的な家産官僚制であり続けてきた。今後、人民元相場の値上がりにより、仮に数字の上だけで世界一の経済大国が実現できても、中国は社会システムにおける、自主的な市民的統合機能(政治的強制ではない)を欠いたままであり、空洞化を免れないだろう。
中国社会には、本質的に市場経済の根本にあるべき「合理的経済計算」の精神を欠いている。資本主義経済とはこのように実に奥深く、その国の文化(宗教を含む)と密接不可分の関係にある。この一点を見落とすべきでない。豊富な資本・労働・土地さえあれば、どこでも、いつでも、市場経済(工業化)が成功するという簡単なことではないのだ。
話が中国に逸れたのは、改めてアメリカ経済の底力を認識したいからである。一度は日本企業に世界トップの座を脅かされて、庶民レベルでは日本製品叩きなど感情的対応もあったが、アメリカ産業界はものの見事にトップの座を守り抜いた。そればかりでなく、2000年代には入ってからは、IT化の「第二の波」と呼ばれるように生産性上昇率が加速化している。その点で日本とは対照的である。
アメリカが奇跡の回復劇を演じたのは、「プロダクト・イノベーション」(画期的な新製品開発)に踏み切ったからである。1990年代後半からのIT化戦略がそれであった。具体的には、ITセクターと呼ばれる電気機械および情報通信等(郵便事業を含む)や製造業全般(電気機械を除く)がITの導入に踏み切ったのである。アメリカは90年代前半まで、主要国の中でも生産性上昇率が比較的低かった。それが90年代後半からは、堰を切ったように「プロダクト・イノベーション」を実現して、世界の先頭に躍り出た。
このような「変身」を可能にさせたのは、アメリカにまだ「合理的経済計算」を実現する「資本主義精神」が健在であったからである。アメリカの歴代大統領は一人のカソリック系を除き、他はプロテスタント系といわれている。アメリカ大統領になるのには宗教上の制約があるわけでない。だが、1620年、メイフラワー号による清教徒のアメリカ移住以来、プロテスタントが圧倒的多数を占めてきた。いわゆる”WASP”の社会であった。つまり、”W”はWhite(白人)、”AS”はAnglo―Saxon(アングロ・サクソン)、”P”はProtestant(プロテスタント)である。現在はこの”WASP”なるアイデンティティは過去のものとなりつつあるが、底流には依然として、プロテスタンティズムが生きているのであろう。アメリカン・ドリームとはこれを指すのか。
アメリカ経済が、90年代後半からIT化戦略にその起死回生策を託した理由は何か。IT化戦略によって、まずアメリカ企業の「業」とも言うべき過剰な経営管理コストの引き下げが、可能という見通しを立てたからに違いない。すなわち、長期的視点から「合理的経済計算」の実現目標を立てたのである。それが経済学的にも十分に裏付けられたものであり、「収穫逓増」を実現するという確証を得ての戦略であった。「収穫逓増」とは端的に言えば、生産コストが時間の経過とともに低下して、逆に利益が増えることを意味する。
先に指摘したように、アメリカ経済は2000年代に入って、すでにIT化「第二の波」の時期を迎えている。95~2000年を「第一の波」とすれば、「第二の波」の方が労働生産性は格段に上昇している。「収穫逓増」が実現している理由をアメリカ全体から言えば、第一にIT化戦略を導入した産業の分野拡大である。ITセクターや製造業から市場サービス産業である、卸小売、運輸、倉庫、金融、ホテル、レストランなどに拡大している。市場サービス産業は、労働集約産業である。IT化戦略によって労働生産性が向上するのは当然であろう。
「収穫逓増」を実現した第二の理由を個別企業レベルで言えば、これが最も重要であるが、次のような諸点が指摘されている。
(1) 90年代はIT機器やIT技術を導入するための初期投資負担が大きかった。2000年代にはいってから、この初期投資負担が軽くなり生産性向上が目立ってきた。
(2) IT技術に適した生産プロセスを導入するには数年を要するが、その時期を過ぎて生産性向上効果がより顕在化してきた。
(3) IT技術を運用するには、それに適応した労働者の教育訓練などを必要とする。この人的資本の他に、企業内にITに適応した組織形態が形成される。こうした人的資本や組織形態は、会計上、無形資産という形をとり計数的に評価対象とされない。しかし、無形資産が蓄積されるに従って、生産性が累積的に向上していく。
アメリカにおけるIT投資「第二の波」は、IT化の効果が遅れて出てくることを示唆したものである。日本のように、IT投資の効果に即効性のないことを理由にして消極的になるのは、蒔いた種に水も肥料も十分に与えないで、ただ育ちが悪いと苦情を言っているのに等しいことなのである。
前回の本連載でも指摘したが、資本主義経済は工業化時代を終えて高度情報化時代に移行している。現状でのIT化戦略は、アメリカを先頭にして日本やヨーロッパが横一線で並んでいる。日本にもキャッチアップのチャンスはまだ十分にある。次回の連載では、「日本企業は横並び主義の『様子見』戦略」と題して、少々、辛口の論評を試みたい。
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筆者紹介
勝又壽良(かつまた ひさよし)
1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。
著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)
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