成功するITマネジメント

第4回 経営トップがIT意識を変える

概要

「IT」自体は身近なものでも、それを統御・管理する「マネジメント」が存在しなければ、ITは宝の持ち腐れになる。ITマネジメントという「頭脳」が存在しなければ、IT投資による「手や足」は十分な効果を上げられない。これから6回にわたり、「成功するITマネジメント」を考えたい。

ITに期待する役割は、既に「データ」処理から進化して、「情報」・「知識」へと進んでいる現実を前回取り上げた。それでは、この「情報」・「知識」への段階をどのようにして実現するかが、今回のテーマである。そのカギを握っているのは、いうまでもなく経営トップである。しかし、経営トップといえども、その企業のもつ「企業文化」にどっぷりと浸っているという事実を見逃せない。IT意識は「企業文化」の問題でもあるのだ。
 
1990年代中頃まで、アメリカで「情報生産性パラドックス」論争が繰り広げられた。その主旨は、ITが企業の生産性や収益の改善に必ずしも寄与しない、という主張を巡るやり取りであった。その後の実証研究によって、この「パラドックス論」は否定された。現在では広くIT投資と生産性・収益性の相関関係が認められている。
この論争を通じて明らかにされたことは、次の二点であった。
すなわち、①IT投資は独立的に生産性・収益性の向上とは関連づけられない。金額的にいくらIT投資を行えば、それによって、どれだけの投資効果が得られるかという性格のものでない。②IT投資は人的・組織的要因と連動して機能することにより、はじめて生産性・収益性の向上に寄与する。
 
以上の結論として、企業の「情報処理管理能力」といった目に見えない人的・組織的要因が、IT投資効果を高めるという事実が証明された。こう見てくると、「パラドックス論争」がけっして無駄ではなかったわけで、IT投資の問題点を明らかにした。
 
「情報処理管理能力」という人的・組織的要因は各企業固有の問題である。コンピュータが出現するまでは、こういった問題に頭を悩ます必要もなかったが、これをいち早くクリアした企業と、そうではなく、依然として問題の所在に苦悩している企業がある。この差はどこから生まれたのかが、次の課題になる。
 
企業におけるIT意識を左右するのは、最終的にいえば経営トップの認識である。経営トップがITを経営戦略のツールとして用いる決断をして、それに見合う「情報処理管理能力」を社内に整備していれば、問題は解決していたはずである。ところが現実は、そうした能力の整備をしないまま今日に及んでいる。これは、経営トップの責任のみならず、その企業固有の「企業文化」が強く影響している。改革に対する抵抗である。そう考えると、事態は決して「IT問題」だけで済まされなくなってくるのだ。
 
「企業文化」という言葉は1980年代頃から、アメリカを中心にして登場し始めてきた。聞き慣れない向きもあるだろうが、企業は「人間の集団」であるから、当然に「文化」を持っていても何ら不思議ではない。ただ、これまで人々の意識に上らなかっただけの話にすぎない。
 
その「企業文化」とは何を意味するのか。まず、「文化一般」を考えると、認識方法、思考パターン、価値観を決定する強力であるが、しばしば潜在的で無意識な「力」となってわれわれを規制している。例えば、日本文化は固有の性格をもっており他国と異なっている。この「日本文化」を基本的な条件として、おのおのの「企業文化」が存在している。つまり、日本の「企業文化」は「日本文化」固有の性格を持ちつつも、それぞれ創業者の性格やその後の社歴、成功体験に裏付けられた独自の性格を持っているのである。
 
この「企業文化」に着目すると、IT意識の強弱はほとんどこれに起因しているといって間違いないだろう。つまり、新しい時代の変化に即応していく企業と、そうではなく一呼吸おいて、他社の動きを見つつ意志決定する企業というごとく、同じ業界でも環境への対応スピードに違いがある。これが業界ランクを決めている要因の一つと考えられる。あなたの会社はいかがであろうか、お尋ねしたいと思う。
 
「社風」と「企業文化」の違いにも触れておきたい。「社風」は誰にも外見で「堅実」、「派手」、「慎重」、「地味」と分かるようなものだが、「企業文化」は潜在的で無意識的なものであり、意識されざる性格をもつ。「社風」は「企業文化」の派生的な存在として見ておくべきであろう。むろん「企業文化」理解への手助けにはなる。
 
「企業文化」問題が脚光を浴びている理由は、現在が「デジタル経営」時代であり、従来の「アナログ経営」時代と一線を画しているからである。
「デジタル経営」とは、デジタルが技術的にすべてを「0と1」の二進法の特徴を持つことへのアナロジーである。経営的に白黒がはっきりし、数字的に厳しいスタイルを貫くというプラスイメージで受け取られている。
 
「アナログ経営」とは、デジタルの意味から類推される二進法と違って、「連続」概念として捉えられる。この結果「デジタル」のように、過去との「断絶」や過去からの「飛躍」がなくて、「丼勘定」、「曖昧」、「甘い業績判断」といった負のイメージで見られている。日本企業が採用してきた経営手法のイメージそのものである。
 
ここで一つ誤解を解いておく必要がある。それは日本企業が技術開発において、アメリカと並んで世界最先端の「デジタル型」でありながら、こと経営では「アナログ型」に終始している点である。技術開発では「「飛躍」しているが、経営面では「曖昧」、「丼勘定」を続けている理由はどこにあるのか、である。
 
大きくいえば、「日本文化」の問題であり、身近な問題に引き寄せれば「企業文化」の問題である。歴史的にいえば、日本農業が「土地生産性」(一定の土地あたりの収穫高)の向上目標を挙げて、徹底的な労働力投入をいとわずにやってきたお国柄である。最初から、「労働生産性」向上は放棄されてきた。収益性概念は成立しにくいわけである。
 
西欧では逆に「労働生産性」を重視して、「土地生産性」を放棄した。収益性概念を確立して効率的経営を目指したのである。日本は米作が主流であり、西欧は小麦という差はあるが、本質的には国土の狭隘(日本)と広大(西欧)の違いである。両者の経営手法には、決定的な違いが存在している。この違いが現代にいたるも、工業経営手法に引き継がれているのである。
 
日本が技術開発では「デジタル型」である以上、経営でも「デジタル型」に移行することは、「企業文化」さえ変革すれば可能である。無意識で潜在的な「仕事のやり方」(企業文化)を意識して変えれば、「開発」と「経営」の両面で、アメリカ企業と十分に対抗可能であろう。
 
日本企業のなかでいち早く、「デジタル経営」に転換した企業を紹介しておきたい。大企業の場合「企業文化」はかなり「強い」のが普通である。つまり、過去のしきたりという「慣性」を引きずっているので、なかなか変えられるものではない。次に取り上げるケースは、「危機意識」をバネにしてそれを乗り超えた。
 
総合家電のP社はカリスマ創業者亡き後でも、その事業スタイル(事業部制)を墨守してきた結果、業績は近年不振を極めた。そこで思い切った「手術」に乗り出した。そのテコになったのは、IT活用のSCM(サプライ・チェイン・マネジメント)による業務改革である。これによって不要な中間管理組織を浮かび上がらせ、余剰人員の存在を明らかにした。社長自らが「IT革新本部長」に就任し、IT投資に3年間で1400億円を投じて、経営改革に向けて不退転の決意を示した。
 
P社の「企業文化」には創業者の経営精神が脈々と生きており、それを具体化したものが「事業部制」であった。とりわけ「事業部制」は上下の人間関係が濃密な「企業文化」を生み出している。これを手直しすることは容易ならざることだが、「創業者の基本理念」を活かしつつ、業務改革に取り組むという「迂回作戦」をとった。これによって、P社の「企業文化」の基礎を守りつつ前進させ、経営手法を変えることに成功した。その切り札はIT手法を用いたSCMである。
 
総合電機のT社は事業再編成を行い、原子力部門を骨格事業の一つに据えた。だが、既存の沸騰水型軽水炉(BRW)だけでは将来、先細りになるという結論になった。これは2050年までのシミュレーション結果である。そこで、新たにアメリカの加圧水型軽水炉(PWR)の最大手企業を買収して、T社は両型を有する世界最大の原発メーカーの座を勝ち取ることになった。
 
ここで注目すべきは、2050年までのシミュレーションを行っている点である。むろんITを用いなければ出来ない相談である。今や経営戦略の策定にはITが不可欠のツールになっている。ちなみに、経営戦略とは長期の利益最大化を意味する。T社のごとくビッグビジネスだから、ITをツールに用いられると受け取られようが、中小企業こそ活用すべきである。グローバル化経済で不確実性要因が山積する中での経営戦略には、IT活用が避けられなくなっている。革新経営を受け入れる柔軟な「企業文化」を育てないと、企業没落は待ったなしになろう。
 
次回は、「IT活用とケイパビリティの向上」の予定である。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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