成功するITマネジメント

第5回 IT活用とケイパビリティの向上

概要

「IT」自体は身近なものでも、それを統御・管理する「マネジメント」が存在しなければ、ITは宝の持ち腐れになる。ITマネジメントという「頭脳」が存在しなければ、IT投資による「手や足」は十分な効果を上げられない。これから6回にわたり、「成功するITマネジメント」を考えたい。

人間は年齢を重ねるに従い、「現状肯定派」になるといわれている。若い頃は「改革派」であったものが、しだいに物わかりがよくなって、現実と妥協する状態を説明しているものだ。日本の人口高齢現象がいまや、社員の意識面にもこうした影響を及ぼし始めている。IT活用は、経営面における「現状肯定派」を「改革派」に引き戻す役割を担っている
 
GM(ジェネラル・モーターズ)の倒産ニュースは予測されていたが、改めて全世界を驚かせた。「アメリカのGM」というよりも、「世界のGM」として知られた存在であった。倒産にいたった理由は、すでに各方面から指摘されている。したがって、ここでは繰り返さない。ただ国内では、誰も指摘していない点が一つだけある。それは、「企業文化」という視点からの分析である。それを私は先ず指摘したい。
 
「企業文化」全般については、前回の連載で触れておいた。企業の盛衰を決めるのはこの「企業文化」が活性化されているか、あるいは沈滞化しているか、そのいずれかによって決まるものである。つまり、企業の構成員である社員の意識・価値観・規範といったものが絶えず見直されている場合、企業は発展して止まないものである。
 
一方、そうした意識・価値観・規範が「事なかれ主義」に染まってしまい、上から言われたことだけを行うという沈滞化している場合は、いかに巨大企業でもGMと同じ運命をたどる。これは不可避なのである。GMでは、典型的な「官僚主義」的な「企業文化」が横溢していた。「世界のGM」である以上、GMが変わるよりも世界が先に変わってしかるべし、という考えが支配的であった。
 
実は日本の人口高齢現象は、こうした「事なかれ主義」を日本中にまき散らす危険性を大きくさせている。このことに注意を喚起しなければ、後々になって後悔するのは火を見るより明らかである。これを防ぐには、IT活用しか方法がない。これもいまや明白であるが、今ひとつ日本ではIT活用への意欲が盛り上がらないでいる。ITに経営戦略の「相棒」役を果たさせる、革新的な考えが出てこないのである。現にアメリカ企業ではどこの企業でも普通に行っている。それが日本では実現しない理由はどこにあるのか。それは、現実への対処方法における「認識の甘さ」が、存在している結果といえる。
 
現実のビジネスにおいて刻々と変化する事態への正しい認識は、企業経営において当然おろそかにできない視点である。IT活用による具体的な成果は、ケイパビリティである販売分析能力向上や需要予測、リアルタイムな在庫検索などの面で効果を上げることが期待されている。ここで取り上げている販売分析能力向上・需要予測・リアルタイムな在庫検索は、いずれも企業経営にとっては死命を制するほど重要な経営課題であって、一瞬もないがしろにできない問題ばかりである。
 
これらをIT活用によって解決できることは、周知の通りである。すなわち、ビジネスにおいて刻々変化する事態への「認識」には、IT活用を欠いては不可能である。1990年代初めに、アメリカで250万部もの大ベストセラーになった経営書の『ザ・ゴール』(邦訳はダイヤモンド社刊行)は、「企業の弱点はその企業の一番弱いところにある」という事実を指摘した。つまり、「強いところをさらに強くするのではなく、一番弱いところを補強すればそれだけで企業は強くなる」と言い切った。 これはまことに至言であって、ケイパビリティを強めて、営業面の実態を把握できれば、無駄な在庫を抱え込む事態は避けられる。「供給が需要を決める」のではない。逆に、「需要が供給を決める」のが現実である以上、この原則に逆らうわけにはいかないのだ。
 
ここで、一つの「理想型モデル」を紹介しておきたい。それは、ケイパビリティをIT活用によって、生産性向上、棚卸し在庫の削減、顧客満足度向上という重要業績指標(KPI)にまとめ上げることが可能になっている点である。飛行機のパイロットは眼前の計器を見ながら操縦しているが、システム管理者やビジネス管理者もこれと同様に、操縦席の計器にあたるKPIを見ながら、瞬時に経営判断できるならばベストに違いない。こうした理想型モデルが既に登場している時代である。
 
ITの活用はこれまでの「夢物語」を現実のものにしている。こうして「ビジネス上での現実認識」が即刻可能になっている。これを活用する人々がいる一方で、全く無頓着な人々が存在しているのはなぜなのか。これについて考えてみたい。冒頭でGM破綻の原因を「企業文化」の視点で捉えてみたが、この企業文化は「現実認識」において、「鋭敏な組織」と「鈍感な組織」を無慈悲にも区分している。
 
「現実認識」において、対照的な二極分化をもたらしているのは、企業文化の相違である。その企業文化は、次の①と②の二層構造になっている。 
①組織パラダイム。所属する人々を支配し管理する目に見えない手段であり、人々の価値判断の決定に影響する。具体的には、 
(A)どのような情報に注目するかという「注意の焦点」を決める。 
(B)潜在的に意味を持つかも知れない情報がどこで、どのようにして得られるのかを決定する働きをする。つまり、情報検索の方法と方向を決める役割である。 
(C)情報の組み合わせのパターンを決めるという役割である。意味決定(価値判断)のためにはある情報がどのカテゴリーに属するか。そのカテゴリーは、他のどのカテゴリーの情報と関連づけられるか、を決めなければならない。その過程で重要な役割を果たすのが、次の②の認識活動である。 
②組織に所属する人々の認識活動。外で起こっている変化を「知る」、「見る」、「聞く」、「決める」、「学ぶ」などの認識活動である。 
 
説明がやや込み入っているかも知れないが、要するに、情報に対して鋭敏であるか、鈍感であるかは、その企業特有の「企業文化」しだいという結論である。企業も「生物」の一種と見なすならば、企業の発展にも「生物進化論」が当てはまるわけである。これが最近の「情報学」の成果であり、外界の変化(刺激)に対して、「無反応」ならば淘汰(倒産)される。「鈍感」ならば進化が遅れる(発展が遅れる)。「鋭敏」ならば「高等生物」に進化(高度の発展を実現)可能である。
 
IT活用が不活発である企業は、「企業文化」から見るときわめて深刻な状態にある。外界の刺激に対して、「無反応」ないし「鈍感」であることを物語っている。生物になぞらえると、「触覚」を失っている生物と同じ状態を示唆しているのだ。こう見てくると、①の組織パラダイムには、高度のIT活用方針を組み込まざるを得ない事情がはっきりしてくるであろう。ITに対してデータ処理程度の認識でいることは、「コンピュータ・リテラシ」段階の認識である。これは過去の話だ。近代経営においては、「竹槍」で戦争するのと同じである。 
 
 「知識社会」とは、IT活用を軸とする「情報リテラシ」社会を指している。人口の高齢現象が年々進んでいる日本において、労働力の供給不足はしだいに顕在化するが、これに伴う従業員の平均年齢上昇は意識の「保守化」、「事なかれ主義」に結びつき、企業改革へのブレーキになる恐れが強くなるであろう。 
 
 これを防ぐには、社員の専門知識教育を行う以外に道はなく、「少数精鋭主義」のもとでの「知識経営」しか残されていないはずだ。IT活用を他人事の話と受け取っているならば、ほとんどその企業に「明日」はないといっても言い過ぎではなかろう。GMですら倒産した現実を見逃してはならない。明日は我が身なのである。 
 
次回は最終回で、「IT成熟度からみた経営ランキング」である。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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