概要
日本企業の売上高営業利益率は、一貫して低下し続けている。その原因はどこにあるのか。本連載ではそれをITとの関連で追跡する。「品質の良さは世界一ながら、肝心の利益が出ない」という悩みの根本は、バランスを欠いた経営手法にある。視野を広げ見る角度をかえれば、今まで見えなかったものが見えてくる。その点を強調したいと思う。
日本人の特性は「心配性」にあるといえそうだ。客観的には「安全」な状況であっても、なぜか「安心」できないという「取り越し苦労型」が多数を占めている。これが日本のビジネスに色濃くにじみ出ている。ITの利用が先進国の中で芳しくない理由の一半は、この「不安症」に起因している部分も多い。こうした「不安症」が日本企業に対して、国内「閉じこもり」型を生み出す原因となっている。つまり「対面接触」していないと安心できないタイプを生み出した。
08年9月のリーマン・ショックは世界経済を直撃した。なかでも日本経済への影響は大きく、それまでの回復過程を根本から揺るがす事態をもたらした。具体的には、次の二つの現象が浮かび上がった。第1は、日本の輸出構造は先進国向けが主体であったこと。第2は、急速な円高の洗礼を受けて多額の為替差損を余儀なくされたことである。この二つの現象は、戦後の日本経済が歩んできた道の根本的否定を含んでいる。その事実に今、気づかされたといえるのだ。
これまで、日本の輸出構造が先進国中心であった点は、明らかである。ひたすら「高機能」を盛り込んだ製品づくりに没頭してきた。それはそれでよかったが、発展途上国の存在を軽視して、これに向けた製品づくりには関心を向けずにきた。要するに、日本国内で高品質の製品づくりを優先して、それを輸出するというパターンであった。この既定コースがひっくり返ったのである。
日本の産業界は国内で製品をつくりそれを輸出するため、政府に政策として何を要望してきたか。それは「円安」をもってよしとする政策選択である。これにより「輸出」しやすい環境を生み出して、「大量生産」メリットを享受してきたのである。もう一度繰り返すと、「円安」、「輸出」、「大量生産」の三点セットを企業成長の主要支柱にしてきた。平成バブル崩壊後の政策選択は、人為的低金利による「ゼロ金利」の長期継続であった。預金金利は事実上ゼロであり、そのシワが一般預金者の国民に寄せられてきた。預金金利を仮に2%とすれば、年間約3兆円の利息が国民の懐に入った計算だ。
この「円安」、「輸出」「大量生産」の三点セットがリーマン・ショック後、完全否定されたのだ。先進国経済の不振、発展途上国経済の拡大という潮流のなかで、もはやこの三点セットの有効性は消えたといえる。発展途上国で「現地企画」の製品づくりをしない限り、日本企業の生きる道はなくなったのである。
具体的には、「円高」、「現地生産」、「適量生産」である。従来路線の裏返しである。「円高」が不景気を呼び込むといった「不条理」な考えにいつまでも取り憑かれず、眼をしっかりと開けて見なければならない。つまり、「円高」が日本全体に交易条件の改善をもたらすという事実を受け入れる必要があるのだ。「円安」を歓迎しているのは、「海外から高値で仕入れて、海外へ安値で売る」に等しいのである。そうではなく「円高」によって、「海外から安く仕入れて、海外へ高く売る」商売の基本に立ち返るべきである。交易条件の改善とは、国内に実質所得の改善効果をもたらすという意味なのである。つまり、海外から労せずして「ボーナス」が転がり込むことだ。
「円高」になれば、日本国内から発展途上国への輸出が難しくなる。そこで、途上国での現地生産に取り組む必要が出てくる。「現地規格」生産である。発展途上国ではこれから中間所得層が増加してくる。それに狙いを定めて商品企画をすれば成功する。これは商売の「イロハのイ」であろう。これまでの円安依存による日本国内生産では、「現地規格」といったアイデアが生まれるわけがない。
「現地生産」に取り組むと、日本国内での「大量生産」は不可能になる。そこで「適量生産」に転換せざるを得なくなるわけだ。内需産業への転換とは、こういうプロセスを意味している。だが、政府は明確な戦略を国民の前に示さずにいるから、「成長戦略不在」という批判を浴びるのである。福祉、環境、観光、農業といった内需産業をどうやって育成・強化するのか。その青写真がないゆえに、国民が不安に駆られるのである。これら「内需産業」はこれから、IT投資の主要舞台になるであろう。この点はきわめて重要である。ここで一歩先んじれば、成果は大きいはずである。
日本企業にみる最大の弱点は、「本社機能」の脆弱化である。「円安」による国内での「大量生産」システムでは、「製造現場」でしっかりした製品をつくり出せば、それでことが済んでいた。だが、これからは「現地規格」での生産が主体になる。世界中から「ヒト・モノ・カネ・技術」を集めての「現地生産」が、勝機を決めるという厳しいビジネスになる。標題に掲げた「設計思想」の良し悪しが問われてくるのである。
前回も説明した「設計思想」について、もう一度説明しておこう。工業製品の製造法には、「モジュラー型」(部品かき集め型)と、「インテグラル型」(部品の擦り合わせ型)の二つがある。これは多分に国民性(民族性)の違いを表わす工業製品の製法と考えれば、理解できるであろう。日本では精密な製品づくりを特徴とするから、今後とも「インテグラル型」を踏襲して行くことは間違いない。今さら、部品寄せ集め型の「モジュラー型」に転換しろといわれても不可能である。日本製品の高品質は、この「インテグラル型」によってもたらされたからである。
ここで問題になるのは、冒頭に指摘した「取り越し苦労型」、「不安症」、「閉じこもり型」の特性をもつ日本企業に、どうやって「現地生産」を円滑に行わせるかという課題である。これは日本人全体に共通した現象である。たとえば、日本は国際的に見ても犯罪被害率がもっとも少ない部類に入る。だが、治安への不安は最も高いという調査結果が出ている。「島国日本」の特徴と言ってしまえばそれまでだが、これは次の調査結果とも符合している。パソコンのボット感染度では最高の「安全度」だが、情報通信の「安心」に関する国際調査では最も低く出ている。これが日本のIT活用を阻害している「精神的」背景でもあるのだ。
日本の情報通信の利用者は文化的背景や国民性もあいまって、極度に「用心深い」という特性を持っている。これが最大の悩みであり、どうやってこれを改善させるか妙案があるわけでない。ただ、日本的な「設計思想」を守りつつ、いかにこれを世界各地で円滑に実現するか。これはビジネスにとって、是非とも乗り越えなければならない関門である。それには国内と現地での従業員教育によるしか方法がない。
あるいは、「インテグラル型」製法をすんなり受け入れやすい国で生産拠点を構えるのも一つの方法である。その有力候補先がインドだ。21世紀最大の人口大国は中国を抜いてインドになる。インドはヒンドゥー教国家であり、そのメンタリティは日本人に近いものが認められている。インドはITソフトでは欧米への供給先にもなっている。歴史的にも論理学に特色があり、日本人の思考回路と似たものがある。日本としては、ここを日本に次ぐ第二の生産基地として拡充していけば、将来の発展策として申し分のない提携国家になるであろう。
現在、インドは日本のODA(政府開発援助)において最大の援助国になっている。かつては中国であった。中国のインフラ投資には日本のODAが大きな役割を果たしたが、この事実は意外と知られていない。インフラ投資の拡充は経済成長の基盤になるので、いずれインドも中国と同様に、高成長実現へ向けた軌道が確かなものになるはずである。
今回の連載は、これをもって完結とする。
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筆者紹介
勝又壽良(かつまた ひさよし)
1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回、「成功するITマネジメント」を6回 にわたり掲載。
著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)
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