概要
わが国のインターネット利用人口は着実に増加を続け、いまや9,000万人を超えるという状況の中で、現代ビジネス社会はどのように変わってきたのでしょうか。そして、何が変わっていないのでしょうか。世界がネットワークによって一つに繋がれば繋がるほど、一人ひとりの個性がはっきり浮かび上がってきます。目先のトレンドや技術革新に、近視眼的に目を奪われないで、わたしたちが生きているe(electronic)の時代の進むべき方向を見定めましょう。
集中・統合化志向から分散・共棲・ネットワーク志向へ
デジタル技術によって人間社会のコミュニケーションがどのように変容してきたかについてもさまざまな見方があります。
前回のシリーズで触れたように,ポケベルや携帯電話は,コミュニケーションの連続性を維持することで,ある意味では「束縛のメディア」となりました。人間同士のコミュニケーションが,心で結ばれるのではなく,電波という糸によって,四六時中,実際につながってしまったのです。そのことが人間本来の想像力や感性の変容をもたらしたことはいうまでもありません。
断片的な情報から,全容を斟酌したり,相手を思いやったりする細やかな心の働きが後方に追いやられ,なんとかしてより完全な情報を追い求めるという発想に変わりました。これは,必ずしも望ましい傾向だとはいえません。愛をメタファーにすれば,「想い合う」ことではなく,「繋がりあう」ことになります。
そのような想像力の衰退によって,ちょっとした情報技術的トラブルで,社会全体がモラトリアムに陥る危険すらあります。情報化社会のリスクマネジメントにおける重要なポイントのひとつです。情報の欠けた部分を論理的な思考や深い洞察によって埋めるという能力を喪失してしまう可能性があります。
さて,ビジネス・コミュニケーション的に考えると,20世紀の産業社会におけるコミュニケーション・ニーズは,いうまでもなく集中・統合化でした。様々な種類の情報を可能な限り集約(集積)して,それをもとにリーダー(トップ)が競争優位のための最善の判断を下すことが求められました。
中央集権的発想です。上司への報告義務も上命下達も,まさしくそういう情報の一元化,情報価値判断の均一化ということです。高度情報化も,そのような情報収集・伝達ニーズを解決する手段として志向された側面があります。しかし,その発想をインターネットが世界を覆ったいまでも引きずっていてはならないでしょう。
インターネットの最大の効用は,情報の集約ではなく分散,拡散をもたらしたことです。ネットワーク(の外部性)という発想は,情報を一元的に管理することとは正反対の意味を有します。それが情報の偏在を解消し,あらゆる人々の「知る権利」を全うさせてくれるのです。ときには情報漏洩や情報過多という負の社会現象すら引き起こしていますが,そのことに物理的に抗うことは基本的には許されないことです。そういう手段ではなく,そのような技術社会を前提とした社会システムや社会教育が求められるべきです。
なお,インターネットには,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』とか,「教えてGoo」(OK Wave)などの知識集約サイトがあります。インターネットのワールドワイドな特性を生かしたユニークな知のサイトといえるでしょう。多いに利用するべきです。しかし,最近の傾向を見ていると,自分でちょっと調べたら発見できる知識を安易に問い合わせる傾向や,専門的な質問には,なかなか回答が得られないという現象があるようです。希少な情報に財産的価値が認められる時代には,コモディティ情報は流通しますが,専門情報はなかなか一般の閲覧には供せられないのでしょう。
標準化・規格化重視から個性化重視へ
確かにインターネットは人間の視野を大きく広げました。だれでもが,見知らぬ社会の出来事や多様な価値観に容易に触れることが可能になりました。ある推計では,人類の知は,わずかこの二十年ほどの間に,人類発祥以来のすべての知の集積を凌駕したといわれています。
わたしたちは,それぞれの価値判断そのものについても,均質化からの脱却をしようとしています。一握りのオピニオンリーダーに率いられた「一枚岩の大衆」ではなくなりつつあります。価値観の多様化というトレンドは,ひとりひとりが自分の価値観を構築することでなければなりません。そう考えると,インターネットの世界に流通する膨大な情報を,どのように検索して,自分なりの価値観を構築するのかという方法は見出せていませんし,教育もされていません。多くは,一般のポータルサイトの提示した順番にそって主要なサイトを閲覧しているのみです。
ところで,今,社会が倫理や道徳の荒廃という現象に直面していますが,これとて,人間社会のさらなる成熟化の途中で,倫理や道徳といういままで通用してきた価値判断そのものが揺らいでいると考えるべきでしょう。そこに現代社会の苦悩があります。しかし,こうした知恵の進化の過程で起こっている現象を,以前の均一志向の価値観に基づいて,法的や物理的に制限したり,矯正したりすることは明確に間違った動きです。いや,結局は不可能なことでしょう。それを確認したうえで,これからの社会のありようについても,視点を変えて考える必要があります。
リアル・コミュニティとバーチャル・コミュニティ
インターネットがもたらした効用の第一番目は,「時間と空間の超越」ということでした。新しいメディアとして,物理的な意味での時間と空間の超越については,先にふれたとおりですが,なんといっても人間がバーチャル(仮想)な社会,すなわちもう一つの別の社会を創造してしまったことは,大きな衝撃です。この仮想空間のありようについては,もう少し時間をかけて判断していくべきでしょう。
従来の創造空間としてのアニメや小説は,リアルな社会との接点を持たない,まったく別の社会でした。しかし,インターネットが作り出した仮想社会は,リアルな社会との実際の交流が可能になり,まさしくリアルな社会の拡張として位置づけられるわけです。ニュートン力学の絶対時間と絶対空間を否定しうるバーチャルな空間においては,リアルな社会におけるコミュニケーションと異質の発想が生まれてきます。それが,新しいビジネスモデル創造の場といわれる所以でもあります。
e-Marketingにおけるコミュニケーション
以上に述べてきたところによって,インターネットがマーケティング・コミュニケーションに与えた影響を整理しましょう。
(1)情報の非対称性の解消による市場構造の変化
従来は,商品に関する知識は企業が消費者に対して圧倒的に豊富でした。そこで,情報の流れは,企業→消費者という形式をとり,そうである以上,企業は消費者の上位に位置して,消費者を導くというスタイルが一般的でした。
しかし,インターネットによる情報ネットワーク化は,消費者を賢くし,商品に対する知識において企業との格差はほとんどなくなりつつあります。いや,消費者は,ネットワークを通じて企業を超えた商品知識や使用体験の交換,ひいては価格比較まで行うようになりました。この消費市場の変化は,今後ますます進展するでしょうし,20世紀までのビジネスと市場の関係性を変えていくことになります。
(2)情報過多と認知限界
しかし,一方でネットワークを流通する情報には,絶対的な評価などありませんから消費者にとっては,どの情報を信頼するのかということが大きな課題になります。すなわち,多様な情報の洪水のなかで,本当に自分に必要な情報はどれかが分かりにくくなります。何万,何十万というサイトの中から,消費者が個人で探し切れるものではありません。
膨大な情報ネットワークは,そうして個人の情報検索の限界をはるかに凌駕してしまいました。そこに,ポータルサイトやインフォミディアリという存在の意義があります。しかし,検索事項の質的適合性によらず,ただ,文章表現によってポータルサイトの掲出順序を競うという空蝉のようなビジネスまであらわれはじめています。これが多分,情報消費者には原則課金しないという検索サイトビジネスの限界でしょう。こんな社会が,過剰情報という人間社会全体の非効率につながるのか,それとも,表現の自由と知る権利の発露として手放しで評価すべきものかは,今後,議論すべき時代になるかもしれません。
(3)多対多の関係の可視化
マーケティング・コミュニケーションの変容について重要なことのひとつは,一般消費者市場においては,従来は一方通行であった情報提供が,個別かつ,双方向になったということです。すなわち,B2BやB2Cの双方が,固有名詞としてカスタマイズされたパーソナルな情報の受発信を容易に行うことができる手段を手に入れたことです。(従来から流通との関係において企業は双方向パイプを持っていたことはここではふれません)。
これによって,成熟社会の現代マーケティングにおいてひとつの大きなテーマであったワン・ツー・ワンマーケティングが飛躍的に発展しました。しかし,実は,このポイントは,一方で恐ろしい罠を持っています。個人情報の漏えいや流通というプライバシーに関わる問題です。マス・ビジネスにおけるような消費者の無名性が失われ,時としてパーソナルな購買行動までも白日のもとにさらされることになります。それが,ただちに具体的な弊害を伴わなくとも,現代の犯罪多発社会,体感治安悪化社会ではどことなく不安を感じる事態です。
社会が変わっていく時
なんども申し上げますが,インターネットというメディアは,ポストモダンにおける自由と権利の象徴です。名もない大衆が持ちえた新しい表現手段であり,コミュニケーション手段です。しかし,その利便性と先進性がゆえにわたしたちが十分に使いこなすにはまだまだ時間が必要だと思います。
そこでの主要な問いかけは,21世紀の「豊かな生」において,わたしたちには,いったいどれほどの情報が必要なのか,個人情報は,どのような「信頼関係」を構築すれば,見知らぬ相手に提供しても安心・安全なのか。マスコミをにぎわすネット犯罪を見聞するたびに,「明日は我が身か」と未経験の不安におののきながら,キーボードをたたく日々に終わりは来るのだろうかということです。
残念ながら,いつの世も,わたしたちは,いかなる社会をつくっていこうかというビジョンによって,新しい道具を生み出すわけではありません。インターネットも,世界のダイナミズムの変化によって,軍事目的から転用された高度な技術が,企業の維持・発展のために利用されはじめ,従来にないマーケティング発想とイノベーションが叫ばれる時代です。だからこそ,その利用と未来に大きな不安を残しているのです。
次回以降では,インターネットのいう魔法の杖をどのように利用していくことが,社会の安心・安全に繋がるのかにも意を用いながら,インターネットが拓いた新しいビジネス社会の未来をデッサンしてみましょう。
連載一覧
筆者紹介
松井一洋(まつい かずひろ)
広島経済大学経済学部教授(メディア・マーケティング論,e-マーケティング論,企業広報論,災害情報論)
阪神淡路大震災時(1995.1.17)は,関西大手私鉄広報マネージャー。広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て,グループ会社二社の社長。50歳台前半に大学教員に転じ,2004年4月から現職。体験的な知見を生かした危機管理を中心とした企業広報論は定評がある。最近は,地域の防災や防犯活動のコーディネーターをつとめるほか,「まちづくり懇談会」座長として,地域コミュニティの未来創造に尽力している。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。
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