概要
「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索する物語を連載シリーズとして掲載いたします。
『第三の波』に乗って
現代社会が高度情報化社会であることは,あらためて申し上げる必要もないと思います。また,高度情報化社会とはデジタル社会であるということもほぼ自明です。科学技術の進歩と社会(戦争技術開発的には国家)の要請として現出したことも間違いはありません。しかし,おじさんは根っからの文系人間ですから,二進法も含めてデジタル技術について気の利いたコメントをすることは不可能です。今回は,高度情報化社会=デジタル社会の文化的側面について考えておこうと思います。
四回にわたって振り返ってきましたように,おじさんのビジネスマン生活は,ちょうどアナログからデジタル時代へのトランジットの時節でした。わが国も高度経済成長のあと,『脱工業化社会』(ダニエル・ベル)の時代となり,それと並行して『情報化社会』が大きくクローズアップされてきます。いわゆる「情報が価値を持つ時代」,「情報こそが次の商品である時代」になったわけです。象徴的にいえば,「産業社会の終焉と新しい文明の出現」という第三の波(アルビン・トフラー)に遭遇したのです。
当時,情報化社会の到来を叫んだ人々は,素晴らしい未来の夢を語りました。工業化時代の権力関係や非人間的管理・監視社会からの解放,在宅勤務の実現,個人差と多様性を認める社会,男女共同参画社会…の実現でした。「東洋の奇跡」といわれる驚異的な戦後復興の道を,手に手を取って一目散に駆け上がったわが国において,少し疲れを見せ始めた人々にとって,そんな未来予想図は,(短い間でしたが)美しい次の目標となりました。
しかし,ここで若い人たちにはっきり言っておかなければならないのは,おじさんたちは,そんなに悲観的でも,マイオピア(近視眼的)でもなかったのです。戦後世代として、おじさんたちが生きぬいてきた半世紀は,何よりも過去に例がないほど凝縮した価値観の混淆とそれがゆえに自由を謳歌した時代でした。そもそも,社会構造そのものが幾度か大きく変わりました。所得倍増計画という美名に包まれた抜本的な農業改革と工業労働力の創出(これは,現代の農村過疎化のトリガーとなりました),高度経済成長と貿易自由化,プラザ合意とそれに続くバブル経済…などの社会秩序の質的な大変化の中をしたたかに,おおらかに泳いできたのです。
ですから,デジタル化などというビジネスツールの仕様変更にうろうろするようなやわな反応をしてきたわけではありません。このシリーズで幾度となく申し上げてきたように,ひたすら好奇心に充ち溢れて,貪欲にビジネス社会の変貌を楽しんできたつもりです。ただし,デジタルに伴うバーチャル化(仮想:つまりは目に見えない部分)については,おじさんたちアナログ人間にはどうにも心底からないじめない違和感を抱いたままであることは告白しておきます。
アナログとデジタル
ところで,まさしくデジタル社会化へのプロセスに身をおいていたおじさんは,ある日,面白いことに気がつきました。デジタル化とは,概念的には「原子化」のような認識がありますが,そのことは,社会の核家族化,単身社会という「個人化」の風潮と軌を一にしているということです。このことに社会学的理由づけをすることは,今はできませんが,社会の細分化と情報化・ネットワーク化は同時進行です。また,その結果として,マニュアルや制度という外部ルールが確立し,あらゆる問題の単純化,二項対立化が行われるようになりました。
日本文化とは,伝統的に,集団性と曖昧性のなかで中庸的解決が図られてきたわけです。そこにデジタルという異文化(?)が大きな楔を打ち込んだのです。たとえば,ビジネス社会における効率性とか能力主義というのも,究極的には,○か×でしかないわけですから,実に明快ですが,一方で,人情や思いやりなどの曖昧な情緒的判断の入りようがないわけです。
おじさんが気になっているのは,このようなデジタル文化が,日本社会とそこで生きる人々の精神を疲弊させてしまったのではないかということです。デジタル文化における『個』という原子構造が,わが国のアナログ・集団文化に付焼刃的に『個の尊重』というかたちで移植されても,そこでの大方の理解は,「人はひと」,「人にかまうな」,「関係ない」という唯我独尊的なひとりよがりの発想でしかありえません。最近の社会における「思いやりの欠如」や「社会的無遠慮」はそのことの端的な現れです。次の時代は,この状況を乗り越えて,もう一度,「他人への優しさ」を取り戻さなければなりません。
また,ビジネス社会でも,経営者の誤ったデジタル文化理解が,わが国の伝統的な会社組織の相互扶助精神を破壊しました。ひとつのセクションで,リーダーに能力不足があったとしても,部下が力を合わせて,組織としての成果を上げていくという相互扶助的精神よりも,能力不足のリーダーを部下が糾弾し,その首を挿げ替える(もしくはとってかわる)というデジタル文化的発想を助長したのです。これをいわゆる「リストラ」という名目の人件費削減に利用しようとしたのですから組織は崩壊します。その挙句に,ここ数年来,企業不祥事が増加し,内部告発が頻発しているのですから目もあてられません。
デジタル化の意義
デジタル化の歴史や意義については百家争鳴ですが,簡単にいえば,情報技術が飛躍的に進歩して,情報の作成,収集,保管および流通が飛躍的に促進されるようになったということです。この技術的進歩は,いくつかの社会的変化を伴いました。その代表的な変化は,グローバル化とネットワーク化です。世界中がネットワークでつながって,時間的,空間的なラグなしで情報が流通する時代になったのです。
グローバル化というのは,いままで知らなかった世界が見え始めたということです。それは,ビジネス上はマーケットの拡大として好条件にも働きますが,一方で,当然のことながら世界中の多様な価値観に直面し面食らうことも多くなります。「多様な価値観の承認」とか「共生」という今はやりのスローガンは,至極あたりまえのことをいっているにすぎません。
企業は,グローバルに世界を知り,マーケットを拡大していく中で,多様な価値観をひとつにまとめ上げることなど不可能であると知ったのです。であるなら,規律はどのようにして守られるべきか。そこに,法や規則の重要性があらためてクローズアップされてきます。人々の内面の精神的な一致などおよそ不可能ならば,少なくとも,一定のルールだけは,外部的に決めておこうというわけです。今,世間で話題になっている,企業倫理やコーポレートガバナンスについても,このような文脈の中で考えると理解しやすいでしょう。
わが国では,従来,集団はひとつの目標に向かって一致団結するという傾向が強く,それに反対する異分子は排斥されることが常でしたから,この多様な価値観(考え方)をなかなかうまく承認できないのです。たとえば,ひとつの企業内では,企業理念以外にも企業風土といわれる自社のビジネスについての考え方や方法の暗黙の約束があり,それは,ビジネス以外の社会生活全般にも強く影響を及ぼしてきました。企業内教育とは,社員を精神的にも訓練して,そのような企業のしきたりを自律的に身につけさせることでしたし,あわせて,よき社会人を創ることにも寄与してきました。その部分は,どんどん,抜けおちていきつつあります。
一方、ネットワーク化については,特に驚くにはあたりません。ずいぶんむかしから電話やテレックスによって世界はネットワークされていたわけですから,それがさらに充実したにすぎません。ただし,同期的に,双方向で情報交換が可能になったということは人間社会の進歩と平和にとっては大きなメリットです。そうして世界中の知が集積されることで,新しい生き方や新しい文化が生まれるのではないかという期待はこれからも失わないでいたいものです。
デジタル海峡,波高し-
デジタル化の文化的側面として,はずしてはならないのは,デジタル機器のハードとソフトの組み合わせです。アナログ機器は,原則としてそのものがひとつの決まった働きをしたわけですが,デジタル化は,ハードとは別に,それを動かすソフトという柔軟な可能性を持っています。デジタル化におけるアーキテクチャーの発想であり,モジュール化です。情報プラットフォームはその流れの中で理解できます。しかし,ここにも,誤った発想の根源が存在しているようです。すなわち,企業は,人材についてまでモジュール化の発想を取り入れようとしたのです。人材までも容易に取り換えられる部品であると勘違いしたのです。現代の経営が直面している最大の誤謬ではないでしょうか。
最後に,デジタル化は,ビジネス社会に従来はなかったデジタル・ソリューションという新しいテーマを提供しました。当初は,事業内容のデジタル化促進であり,今では,新しく開発されるさまざまなデジタル機器やソフトの活用を推進する業務です。この部門は,実は経営の第一線の戦略的業務であるにもかかわらず,顧客フロントではないため,企業目標や社会的対応についての当事者意識が薄くなることは否めないことです。もちろん、これはマネージメントの問題でもあります。デジタル社会が生み出した新しい苦悩です。
次回は,デジタル海峡の向こうに何があるのかを展望して,このシリーズを終わりたいと思います。
連載一覧
筆者紹介
広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。
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