デジタル海流漂流記

第6回 おわりに~遠くに陸地が見えてきた

概要

「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索する物語を連載シリーズとして掲載いたします。

デジタル社会はどこへいく

流されたふりをしながら,実際には積極的にデジタル化の奔流に身を投じてきた好奇心旺盛なおじさんは,ここにきてデジタル社会を幾分,冷やかに眺めはじめています。いままで振り返ってきたようにデジタル社会は,世界中から膨大な新しい情報を発掘し,また自分でも情報を作り出し,その受発信や流通を画期的に,スムーズ,スピードそしてスマート(3S)にしました。それは大いに評価し,注目すべきことです。

しかし,人生の先輩として,おじさんからみなさんに言っておきたいことがあります。受発信する情報量が増えれば,もちろん選択肢も増えますから,それだけ人間の知識と生活の幅が拡大し,多層化します。多元社会などというのは,至極当たり前のことを言っているに過ぎないのです。流行り病のように,イノベーションとか,パラダイムの転換などと大騒ぎして,本質が見えなくなっても困ります。まあ,不易流行とでも言っておきましょう。

つまり,デジタル社会といっても,情報技術の一段進歩した社会という以外にはそれほど驚くにあたらないのです。ましてやそれが,人間の生き方の変容にまで繋がるには,わずか数十年の短い時間では根本的に無理な話です。そのことは後で少しお話します。ですから,デジタル社会がもたらした最大の成果は,実際のビジネス上のさまざまな新しい競争(儲け)の種であるという視点のほうが現実的です。

ビジネスの新しい草刈り場

デジタル社会は,工業化社会の成熟期にあったビジネス社会に新しい競争の土俵を提供しました。マーケティングの4Pについて考えれば理解しやすいと思います。最近は,四つのPについて,マーケティング・ミックスという言葉で静的に把握するのではなく,顧客価値連鎖として時間軸の要素を加味しながら把握することが多くなりました。これも,3Sの時代には,マーケティング活動全体を俯瞰的かつ総体的に見つめることができるようになったということです。

デジタル化の特徴は,一般的に,デジタル本来のデータの処理,伝達,保管の容易さに加えて,Network(ネットワーク化),Individual(個別化),Interactive(双方向化)の三つが挙げられます。この三つの概念にしても,メディア論の分野で考えれば,決して目新しい発想ではありません。しかし,デジタル化(例えばインターネットの普及)によって,画期的にスムーズに,スピーディに,スマートになったということです。

Products(製品)においては企画段階からのマーケット情報,顧客ニーズやウオンツの把握が容易かつ低コストで可能となり,一方,SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)によって,原材料は世界中から合理的に入手できます。また,商品のブランディングにも寄与します。Price(価格)設定には,原価のみならず,Place(流通)やPromotion(販売促進)の場においてのデジタル化のメリットが合理的に反映されます。もちろん,PlaceやPromotionの場面においては,デジタル化のネットワーク効果もあって,CRM(顧客関係性マーケティング)がさらに進化,充実するわけです。

それぞれの場面で,現代企業は激しい競争を繰り広げています。近頃の百家争鳴のデジタル社会論は,それをマクロで見たり,ミクロに分解したり,縦や横から切って解説しているのです。また,マーケティングだけではなく,企業内部の人事や経理などのマネジメントにおいても,同じようにデジタル化による3Sが進展しています。マネジメント技術としてデジタル化の導入も重要ですが,時代に流されるのではなく,あくまでも冷静に足元を見つめながら判断していきたいものです。

ユビキタス社会はガラス張り社会か

ティム・オレイリーが提唱したWeb2.0という概念によって,Webが新しい時代に入ったといわれます。従来型の情報検索型(ディレクトリ型であっても,サーチエンジン型であっても)から一歩抜け出し,Webを活用した情報集合型,知識集約型社会のはじまりです。しかし,そういう言葉の問題だけでは,何も解決してくれるものではありません。重要なのは,オレイリーたちのいうオープンソースの考え方によって,Webの世界におけるビジネスに一定の限界が見えてきたということでしょう。Webの世界は,Web1.0のデジタル社会における収穫逓増の競争論理を乗り越えてしまったのです。

ユビキタス社会とは,一般的には「いつでも、どこでも、何でも、誰でもがコンピューターネットワークを初めとしたネットワークにつながることにより、様々なサービスが提供され、人々の生活をより豊かにする社会である」(Wikipedia)と定義されます。しかし,「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」という表現も曖昧な言葉です。考えようによっては,現在すでに,そういう社会が到来していると言えなくもありません。『ユビキタス社会とは何か』(坂村健,岩波新書)によれば,「あらゆるモノに,あらゆる場所に,そしてもっと広くいえば社会全体にチップ(=コンピュータ)を組み込んで,世界を情報のネットワークとして構造化していくということです」と説明されています。だからこそ,オープンソースでなければならないのです。もちろん,IPv6も不可欠です。

しかし,ここまでくるとむかし堅気のおじさんはちょっとひいてしまいます。十年ほど前,住民基本台帳カード問題というのがあって,国民の間では管理社会反対論が盛んでした。国民総背番号制などというのも,その文脈でおおかたの国民が強く反対しています。ユビキタス社会は,先ほどの定義でいくと,それを一気に乗り越えてしまい,「あらゆる人は,あらゆる場面で,オープンである」というガラス張り生活にならざるをえないのです。

悪名高き通信品位法にクリントン大統領が署名した翌日の1996年2月8日,ジョン・ペリー・バーローが『サイバー・スペース独立宣言』を発表したとき,インターネットは,新しいマスメディアとして,権力と対峙する役割が付与(確認)されたのです。それは,コンピュータによって世界を構造化することが,より豊かな社会の創造につながるという楽天的な技術先行イリュージョンとは相入れない思想です。デジタル化=インターネットの発展が,民主主義とは何か,自由とは何かということと表裏一体であることは忘れてはなりません。技術の進歩がもたらす豊かな社会と,それによって失うかもしれないさまざまな人権についての議論と見極めが重要です。

リアルとネット(バーチャル)のはざまで

デジタル社会は,バーチャル・リアリティという新しい機能を充実しました。そもそも,メディアの進歩は「人間の身体機能の拡張」(M.マクルーハン)として,実際に見えない,聞こえない世界を居ながらにして体験することを可能にしました。ここで重要なことは,メディアによって伝えられることは,一部分であっても,あくまでリアルであるということです。ところが,デジタル社会では,バーチャル・リアリティという,いわば事実と空想の中間的世界が存在し,それが共有される時代,また,ビジネスとして成立する時代になりました。

従来のエンターティメント,アニメや漫画における空想社会は,観客や読者も空想であることを認識したうえで楽しんでいます。しかし,デジタル社会におけるバーチャル・リアリティは,事実と空想の渾然一体となった,境目のない新しい社会です。今やリアルの社会の地域コミュニティの崩壊は著しく,地域という物理的ドメインを離れ,嗜好性,思考,趣味などに基づいたバーチャル・コミュニティが出来上がっています。Web1.0の社会は,バーチャルは,あくまでもリアルへのいざない(例えば,ショッピング・モール)として存在していましたが,Web2.0の社会は,バーチャル社会がそのものとして「ある」のです。

近代は,テレビメディアの飛躍的発達によって,人間の想像力,感性が乏しくなったといわれました。テレビに流れる映像を受容し,消化することで,人間の感性は大忙しだったのでしょう。しかし,デジタル社会が提供するバーチャル・リアリティは,そんな受動的な情報接触のありようを大きく変えてしまいました。その意味では,デジタル社会とは,人間がその固有の想像力や感性をもう一度研ぎ澄ます時代,さらにいえば,リアルで豊かな物欲の社会から,バーチャル・リアリティの社会での空想世界に心を泳がせながら,限られた命を美しく燃やすことが可能になると言えないでしょうか。

前回の連載(『ICTが正す企業文化と倫理』第六回,2007年1月31日)で,わたしは,ローマ時代,人々は闘技場に人間の残忍さや攻撃精神をおいてくることで,平和な社会を維持できたのではないかと書きました。実は,バーチャル・リアリティの世界がそのようなルサンチマンの置きどころとしての役割を果たしてくれるのではないか。そんな淡い期待も持ち始めています。

高度情報化社会が『第三の波』であるなら,わたしたちは,遅かれ早かれ,その次に来る『第四の波』に遭遇することでしょう。そう,ポスト情報化社会は必ずやってきます。そのとき,わたしたちが住むリアルな社会は,どんなふうになっていることでしょう。できるなら,人間たちが直面しているさまざまな問題を,ひとつひとつ解決していこうと,手を携えて生きる(共生する)心豊かな社会であって欲しいと思います。技術だけではなく,人間もより磨かれた精神に進化しなければなりません。

-漸く,デジタル海峡を渡りきって,遠くにかすむ陸地は,そんな「新世界」であることを心から願いながら,今回のシリーズはこれで筆をおきたいと思います。またいつか,今度は新大陸でお会いしましょう。(了)

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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