このフレーズは,忘れもしないトム・クライシーの名作の邦題タイトルです。原題は『Clear and Present Danger』。アメリカ合衆国連邦最高裁で確立された,表現の自由の制約には,「明白かつ現在の危険」の存在が必要だという有名な法理の流用です。
第1回のテーマは,結論から先に言えば,わたしたちは,個人生活でも,企業活動においても,さまざまな局面で,まさしくClear and Present Dangerに直面しているということを認識しようということです。
これから,数回にわたり,BCPについてご一緒に考えていきますが,詳細の議論に入る前に,わたしたち(日本人)が,「危機」について,どのように受けとめているのか,また,これからどういうスタンスで向き合っていこうとするのかを,少し整理しておきたいと思います。
「企業における情報セキュリティガバナンスのあり方に関する研究会報告書参考資料:事業継続計画策定ガイドライン」(経済産業省,2005年3月31日)には,「危機が発生したときに,企業に対して問われるのは,その企業が危機に直面した時であったとしても事業を遂行(継続)するという社会的使命を果たせるかどうかである」と高らかに謳われています。
また,多くのBCPに関する参考書や論文でも,技術的には詳しく解説されていますが,そういうBCP理念の前提となる「危機意識」への言及は,ほとんど見当たりません。これは,人間の危機意識の問題については,歴史学,文化人類学,民俗学や心理学など多方面からのアプローチが必要であり,いまだ定説がないことも原因です。しかし,リスクへの対処や危機に際しての行動は,普段からの人間の心のありようが大きく反映します。わたしが実際に経験したいくつかの鉄道事故や自然災害におきましても,日頃から物心両面の備えを怠らず,発生時には被害者の救助や救援に献身した人から,呆然とその場に立ち尽くし,途方と悲嘆にくれる人までさまざまでした。
- 目次
- 危機の切迫性
- 危機に備える心と行動
危機の切迫性
ところで,ドイツのミュンヘン再保険会社が,2003年3月発行のアニュアルレポートに発表した世界大都市自然災害リスク指数によれば,東京・横浜地区のリスク指数は710で、主要50都市の中で飛びぬけて1位,大阪・神戸・京都も92(4位)でした。ちなみに,2位のサンフランシスコは167,ロサンゼルスが100となっていました。
このレポートのわが国へのインパクトはたいへん大きく,再保険契約における不利益のみならず,海外投資家の躊躇や外国企業の撤退すらありうるといわれました。政府も,「国家としてのリスク・マネジメント能力が問われる内容」(内閣府防災担当政策統括官)であるとして,文字通り危機感を示しましたし,政財界がBCPに本格的に取り組み始めたきっかけになった出来事だと言われています。
また,わが国では,大地震発生の切迫性について,地震調査研究推進本部の発表では,今後30年以内の発生確率は,東海地方では「いつ発生してもおかしくない」とされ,宮城県沖99%,南関東70%など,太平洋沿岸はほとんどの地域で恐ろしく高い数字になっています。
危機に備える心と行動
(1)人間として
日常生活における危険は,大地震や風水害等の自然災害だけではありません。思いもかけない交通事故や犯罪(テロや誘拐なども含む)に巻き込まれることもありますし,ある日突然,重大な疾病が発見されることもありえます。
そこで,わたしたち日本人が普段からどのような危機意識を持って生活しているのかということについて少し考えて見ましょう。一般的な日本人の多くは,わが国特有の運命論的な考え方を持っています。それが,備えの不足に大きな影響を与えていると考えられます。また,災害で大きな被害を蒙った場合も,避けられない人間の運命だと考え,破壊された住居や生活を平穏だった災害以前の姿に戻そうとします。欧米諸国の国民のように,それをきっかけに,より災害に強いものに根本的に変更するという前向きの発想は不得意です。また,わが国では,災害などの記憶について,しばしば「風化」という言葉がマスコミでも安易に使われることは残念でなりません。
このような「諦めの思想(いわば運命論)」は,わが国の長い歴史と風土が培ってきた国民文化のひとつですが,国際社会では決してメジャーなものではありません。そして,わたしたちは,世界のさまざまな国と交流し,その文化に触れるなかで,危機管理についても,普段から想像力を働かせて備えを充実し,もし発生した時には,それに雄々しく立ち向かうという新しい考え方や勇気を学びつつあるのです。
(2)企業として
現代企業は,市民社会の一員(企業市民)として行動するべきだというのは,今では広く承認された考え方です。ですから,危機に備える姿勢についても,市民と同じ目線や発想を持つ必要があります。つまり,平常時から,危機に対する備えを充実することや,被災時にも速やかに活動を再開することが,企業市民として求められているのです。
ましてや,企業は他人資本により経営していることが常態ですから,何が起こっても,他人資本の保護・確保を目指すことは経営のミッションそのものです。そして,手広く他企業と連鎖して事業を推進している企業では,その事業ネットワーク企業への影響を最小限に抑えることが,グローバルに事業活動を行っている企業では,国際的に評価される備えや発生時の危機対応能力が求められます。
ここで絶対に忘れてはならない視点は,企業の危機管理は,社員(人間)に負うところが大きいということです。ですから,企業価値の確保や向上という企業経営の基本理念についても,普段から社員の意識のベクトルを合わせておく必要があります。
なお,危機発生時には,往々にして,社員は,私人と企業人との役割葛藤(ダブルバインド)に悩むことがあります。被災した社員が,BCP緊急体制のリーダーであるような場合がその端的な例です。これは,事前想定でも,なかなか決めておけない課題だと思います。
BCPについて考える前提として,簡単ですが以上のことを確認しておきたいと思います。次回は,「リスク・マネジメント」,「クライシス・マネジメント」や「危機管理」など,このところかなり混乱が生じている用語について整理します。
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筆者紹介
松井一洋(まつい かずひろ)
広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。
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