災害を乗り越える思想~IT社会はどこへ向かうのか

第1回 災害と日本人の関係を見直す

概要

2011年3月11日に発生した大震災を受けて、私たちは、災害と隣り合わせの日本人の生活を改めて実感することになりました。 近代という時代のシステムを管理すると言うことが、社会と人間に対してどのような運命を提供していくのかを問います。

想像をはるかに絶する圧倒的な「喪失」を前にして、わたしは、今もまだ「何を語ったらよいのか言葉を失ったままでいる」というのが正直な気持ちです。しかし一方で、延べ数万時間にも及ぶマスコミ報道と各種メディアを通じての災害因の研究、被災状況の統計や復興への莫大な意見や論評は、すでにわたしの情報許容量を大きく超えています。メディア社会はここまできてしまったのですね。

 

いうまでもなく近代は産業技術経済であり技術革新の時代です。そのなかでコミュニケーション技術(IT技術と同義で使います)も、飛躍的な発展を遂げてきました。しかし「コミュニケーション技術の発展は、究極的に人類の平和と幸福に貢献する」というノーバート・ウイナー(1894-1964 サイバネティックスの創始者)らの願いが正しく継承されてきたわけではありません。個々の科学技術が自己完結的にそれぞれの発展を志向し、全体としての社会的ハーモニーへの配慮を欠いた結果も、社会的格差や不平等の拡大の一端の原因であったことも事実です。

 

20世紀の後半になって漸く、わたしたちは、大量消費に伴う大量廃棄の社会システムを抜本的に見直し、かけがえのない地球の温暖化防止への国際的協調を推進してきました。また、この国では、あらためて阪神淡路大震災(1995)を契機に、「自然との共生」や「生活防災」の重要性を認識して、物心両面から備えを強化してきました。しかし、遠いインド洋大津波(2004)やハイチ大地震(2010)に際して、われわれ先進工業国では、そこまでの巨大な被害はありえぬことだと、まるで「増長」ともいえる不埒な感想を持って泰然としていたものです。

 

誤解を恐れずに言えば、災害に関する科学技術は、いったい何をしてきたのでしょうか。たとえば、曖昧な『警告』(大地震に関しても、「何年以内の発生確率が何%」というような市民にとって実に不可解な表現)など、どう考えても科学的ではありませんし、今回、流行言葉にまでなった『想定外』という恥ずべき「言いわけ」も決して免罪符ではありません。大自然がどれほど人知を超えるものであっても、そこに日々を暮らすわれわれにとって、科学技術こそは、命を守り、より平和をもたらしてくれる希望であり、砦だという期待と使命を今回も果たすことはできませんでした。

 

また一方で、企業経営者も何をしてきたのか。特に、9.11以降、あれほど重要だと叫ばれ続けてきたBCP(事業継続計画)は、多くの企業で奏功せず、大震災の被害によってサプライチェーンが破壊され、国内のみならず世界の生産活動にまで大きな影響を及ぼしています。結果的にいえば、産業資本主義は、自らの事業の目先の効率のためには、危機管理(BCP)などの「不確実な未来」への投資には、ほとんど興味がなかったということになりましょう。

 

思えば、この国は、19世紀の後半になって100年ほど遅ればせながら参入した西欧世界的な近代の歴史において、身のほど知らずにも軍事大国としての企みに邁進し、それが破れた後は、一転して米国に先導される西側諸国の一員として、経済大国への道を突っ走ってきました。しかし、21世紀に入って、少子高齢化が進むとともに、いよいよ国民総人口減少局面に入り、GDP世界第二位からの転落によって、政治も産業も、これから進むべき方向をあらためて見定めなければならない混迷の時代に入ったばかりのこの大震災でした。

 

結論から言えば、この国は、この際、経済体勢も社会構造のありようも、まったく新しい道を歩みはじめなければならないと思います。この機会に、いままで当然とされてきたさまざまな科学技術的発想、資本主義的なイノベーションの方向性についても本質的な見直しをするべきではないでしょうか。

 

ところで、『災害と日本人の関係を見直す』というテーマに関する議論は、この災害大国日本において、従前から決して珍しいものではありません。多くは、これまでも幾度となく巨大災害に遭遇しながら、時には天の怒り(天譴)にひれ伏し、土地とともに生きる農耕民族としての『土着』の精神を国民的宿命と論じるものや、のど元過ぎれば怖さを忘れていく「忘却」の民として、一種の宗教的諦観を根拠にしたような刹那的生きざまの脆弱性を西欧的文化との比較の中で若干批判的に論じてきたに過ぎません。そして、自然災害という再帰的状況からどう抜け出すのかという議論は、コスト限度の堤防の新増設や家屋の耐震補強など土木建設的対策と精神的な備え(避難の準備と覚悟)ということでした。

 

「今回の地震がなければ、日本人は「大国」を目指して空しいあがきをしただろうが、もうそんなことは考えられないし、考えるべきではありません。地震がもたらしたのは、日本の破滅ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ。」(柄谷行人『地震と日本』現代思想5月号)

 

そういう角度から、コミュニケーションやネットワークの基本思想を再考したいと思います。大災害発生から2ヶ月を経た今日に至っても、遅々として進まぬ政策論争によって、人命に関わる貴重な時間を浪費し続けていますし、福島第一原発事故に伴う情報開示も、われわれが長い間追求してきた「(よりよき)メディア・コミュニケーション」とはあまりにかけ離れたアナログ的な逐次発表によって、国民全体が少しく苛立っています。

 

また、ITに携わる者として決して忘れてはならないのは、同時進行的に、粛々として権力によるネット上の情報の規制が進行していることです。これらは、IT技術が、表現の自由という金科玉条に甘え、「善き」人間社会への思想を持った確実な貢献を果たしてこなかった結果かもしれないというのは言い過ぎではないでしょう。そういう意味でも、IT技術とIT技術者もまた、今回、大きな岐路に立たされているのです。

今回のシリーズでは、そのような問題意識をしっかりと持続しながら、この大災害を契機として、わたしたちは、21世紀のITネットワーク社会をどのように構築していくべきか、どのような発想で技術的な課題に向き合っていくべきなのかという、非常に困難なテーマに挑戦してみたいと思います。(第1回 おわり)

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)
1974年早稲田大学第一法学部卒。

阪神淡路大震災(1995)当時は、被災した鉄道会社の広報担当。その後、広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て、グループ二社の社長を歴任。
2001年3月NPO日本災害情報ネットワークを設立。
2004年から広島経済大学経済学部メディアビジネス学科教授。専門は、企業広報論と災害情報論。
各地の防災士研修、行政研修や市民講座講師、地域防災・防犯活動のコーディネーターのほか、「まちづくり懇談会」座長、「まちづくりビジョン推進委員会」委員長として地域コミュニティの未来に夢を馳せている。

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