概要
2011年3月11日に発生した大震災を受けて、私たちは、災害と隣り合わせの日本人の生活を改めて実感することになりました。 近代という時代のシステムを管理すると言うことが、社会と人間に対してどのような運命を提供していくのかを問います。
防災思想と対策のリセットを
従来から営々と積み重ねられてきたハードとソフト両面の防災対策は、想定外の広域性と巨大性に遭遇して、どのような方向へ向かうべきなのか根本から問われている(リセットの必要性)というのが『災害を乗り越える思想』と題した本稿なりの問題意識でした。
第1回(6月1日付)に、柄谷行人氏の「・・・地震がもたらしたのは、日本の破滅ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ・・・」(現代思想5月号)を引用したのは、そういう思いからでした。しかし、3月11日以来、およそ五ヶ月が経過しても、実際に「新生」日本への歩みがはじまっているとは到底言えないような混沌状態のままです。
ここ数週間のうちにも、記録的な集中豪雨が国内数カ所を襲い、貴重な家財と何人かの尊い人命が奪われましたし、東海地方ではかなり大きな地震が発生しました。この短いシリーズを閉じるにあたって、次の三点を確認しておきたいと思います。
第一は、「備える」こと。この災害大国にあって、不意の自然災害に万全かつ周到に備える思想が、なぜいまだに希薄なのか。この国の精神風土として、災害文化は「先延ばし(いずれそのうちに)」、「同調性(みんながそうだから)」と「他者依存(だれかがやってくれる)」の三つのバイアスにしっかり絡めとられたままです。しかし、弛まず「備える」ことは、この国で生きるために不可欠の「覚悟」です。
第二は、国民意識の二分化。発災当初、一部メディアで東京大空襲との比較が取り上げられました。戦争の場合は(近代は総力戦ですから)、国民的な禍災ですが、災害においては、どれほど被害が大きくても、被災地・被災者(非日常)とそれ以外(日常)との関係性が課題になります。今回は、「がんばろう!日本」とか「絆」という全国キャンペーンが繰り広げられましたが、それでも国民の意識は「見守られるべき者」と「見守る者」に二分され、被災地外の国民の多くは、すでに当事者意識を喪失しはじめています。「明日はわが身」を忘れるのは恐ろしい。
第三は、復興のありよう。福島の原発事故(危機的状況)が継続したままであるとはいえ、放射能汚染地以外の被災地復興の具体的な姿が見えてきません。20世紀の終わりに、国と地方との関係を抜本的に見直し、地方分権や住民自治の強化が叫ばれましたが、予想もしなかった範囲と規模の基礎自治体の壊滅的被害によって、被災住民は一時期、まったく無政府状態で吹きっさらしの寒風に放置されました。これは、今後の地方自治のありように大きな課題を突きつけています。そして、少なくとも、初雪が降るまでには、被災者のすべてに暖かい住まいと可能なかぎりの生活の安心が提供される必要があります。
語り継ぐ災害文化
文化は、大きく次の三つに区分されます。
一つは、後天的に学ばれるもの。(学ばれる文化)
二つ目は、文化の成員が共有するもの。(共有する文化)
最後に、次世代の人々に伝達されるもの。(伝えられる文化)
誤解を恐れずに言えば、今回の大震災によって、わたしたちが学んだ(災害)文化、共有するようになった(災害)文化、次世代に伝えられるべき(災害)文化が、過去から引き継がれてきた『津波てんでんこ』だけであってはなりません。
21世紀の新しい知恵として語り継ぐべき(災害)文化とは何でしょうか。
思うに、生物の生存は「所与の環境における適応度による」というチャールズ・ダーウインの思想は、そこに生存しつづけることのできる適者とは「さまざまな外的環境によって、自ずと変化していかなければならない」ということです。津波来襲地帯でこれからも生存していくためには、「逃げる」という災害伝承だけではなく、今度こそ、立法措置も含めて、生活環境の選択と整備について、全国的な視野での移転や国土有効利用および自治体再編統合などが速やかに実行されるべきです。
『災害を乗り越える思想』とは
こんなに成熟した情報化社会にあっても、現実をありのままに、被災者のみなさんと同じ目線の高さで、温もりや匂いを身近に感じるようなコミュニケーション技術は可能になっていません。大津波の傷跡深い東北で、今、何が行われているのか、数十万人もの被災者一人ひとりが何を求めているか。事実の一部が、多様なメディアによって、断片的かつ(無意識的、意識的であるかを問わず)作為的に報じられるに過ぎません。まだまだ情報インフラは改善の余地を残しています。
ところで、原発停止による電力事情悪化や内需の低迷を理由に、企業が海外へ流出するというニュースは、おいそれと聞き流すわけにはまいりません。昨今、この国の多くの地域コミュニティが直面しているように、彼らが「帰去来兮(帰りなん、いざ)」(陶淵明「帰去来辞」)というとき、今の状況では祖国がさらに衰退していることもありえます。そういう意味では、CSR(企業の社会的責任)には、企業利益の極大化をはかるだけではなく、祖国の未来を支えるという崇高な精神も包含しているとは考えられないものでしょうか。経済のグローバル化とは別次元の願いでもあります。
最後に、この国に住まうかぎり『災害を乗り越える思想』とは、まさしく『災害を迎え撃つ思想』でなければなりません。もちろん、真正面から大自然と格闘することなど不可能ですが、被災地復興のありようや、災害文化の伝承も含めて、これからは『自然との共生』というような美辞ではなく、もっと現実的、具体的に社会の仕組みそのものを再構築する契機がきたのです。
結論から言えば、社会の仕組みを、20世紀型の「明日の豊かさ(成長)を追求する」システムから、21世紀型の「明日の危険(リスク)の抑制と備え」という危機管理システムへ転換するべきです。いままでの日常と非日常の逆転といってもよいでしょう。21世紀は「地学的平穏の時代の終焉」というだけではなく、近代産業社会の「負の生産物」としてのさまざまな危険が、わたしたちの生活と精神を大きく蝕みはじめている『危険社会』(ウルリヒ・ベック)であることがあきらかだからです。
そういうことをすぐにでも始めなければ、もう次の大災害には、間に合わないかも知れない・・・。
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筆者紹介
1974年早稲田大学第一法学部卒。
阪神淡路大震災(1995)当時は、被災した鉄道会社の広報担当。その後、広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長を経て、グループ二社の社長を歴任。
2001年3月NPO日本災害情報ネットワークを設立。
2004年から広島経済大学経済学部メディアビジネス学科教授。専門は、企業広報論と災害情報論。
各地の防災士研修、行政研修や市民講座講師、地域防災・防犯活動のコーディネーターのほか、「まちづくり懇談会」座長、「まちづくりビジョン推進委員会」委員長として地域コミュニティの未来に夢を馳せている。
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